ショーガールやドラァグクィーンがインフレする問題〜『キンキーブーツ』(日本版)

 『キンキーブーツ』の日本版を見てきた。おなじみの映画『キンキーブーツ』のミュージカル化で、シンディ・ローパーが音楽を担当している。

 舞台はノーザンプトンシャの小さな靴工場。ロンドンで婚約者と暮らす予定だったチャーリー(小池徹平)は父の急死のせいで故郷の靴工場を継ぐことになったが、工場は破産寸前。そんな中、チャーリーはひょんなことから知り合ったドラァグクィーン、ローラ(三浦春馬)との会話から、ドラァグクィーン向けのピンヒールブーツの生産を思いつく。工員であるローレン(ソニン)の助けを受け、ニッチな商品の開発に邁進するが…

 歌や踊りは文句のつけどころがなく楽しいミュージカルなのだが、脚本はちょっとすっ飛ばしすぎの感がある。映画もちょっとそう思ったのだが、舞台版は歌や踊りがちゃんとしていてとてもポジティヴな雰囲気を醸し出しているぶん、余計台本や台詞のアラが目立つようになってしまったように思う。とくにローラに電話で謝るチャーリーのセリフが「君こそ立派な男性だ」みたいな感じで、冷静に考えるとそんなこと言われたらむしろローラは怒るんじゃないかと思うような内容だし、性別や生まれなどに対する偏見を捨ててあるがままの人を受け入れようというミュージカル全体のテーマや明るくてキラキラした雰囲気ともあんまり合ってない。もうちょっと台詞や終盤の展開をちゃんと考えて、必要なら映画とは違うように変更したほうがいいと思った。舞台なので、映画と同じことをそのまんまやっていいというわけではないし…

 可愛くてイマイチ頼りないチャーリーを演じる小池徹平や、工場のライン狭しと歌い踊るエネルギッシュなローレン役のソニンもいいのだが、ローラ役の三浦春馬がとにかくド迫力である。ただ、あまりにもキレイかつド迫力にまとまりすぎているかも…という気がする。ローラはそんなに物凄い売れっ子ドラァグクィーンじゃないのではと思うのだが(老人ホームに慰問に出かけてて、デザイナーにならないかと言われたら「それもいいかも」と思っちゃうあたり、そこまで高給取りではないのでは?)、このプロダクションの三浦ローラはどの劇場でも看板を張れそうな堂々とした一流パフォーマーに見える。映画ではもう少し疲れたドラァグクィーン感があったと思うのだが、舞台ではローラは本当にキレイに歌って踊るし、心境を表現する歌唱とかも巧みなので、かなり技術の高いパフォーマーに見えてしまう。二流のショーガールであるはずのサリーが映画版ではライザ・ミネリ主演で超一流ショーガールにしか見えなくなってしまった『キャバレー』なんかでもそうなのだが、「二流どころのはずのパフォーマーが主役のミュージカルが一流パフォーマーの話に見えてしまう現象」というのはよく起こってしまうと思う。なんてったって主役を張るにはカリスマが必要だからしょうがないのかなぁ…