能?ギリシャ悲劇?フランス古典主義?〜『フェードル』

 栗山民也演出『フェードル』を見てきた。ラシーヌの『フェードル』を舞台で見るのは初めてである。ヴィーナスの呪いにより義理の息子イッポリットに恋してしまったフェードルを中心に、呪われた恋の道行きを描くものである。

 だいたい洋風の衣装に、石を基調としたシンプルなセットが使われている。左側に長い通路がついた能舞台みたいな舞台装置で、最後にイッポリットの死を知ったフェードルが出てくるところはこの通路を使ってフェードルがゆっくり出てくるという本当に能みたいな演出がある。能とギリシャ悲劇というのはわりと演出に近いところがあると言われているのでこれはわかるのだが、問題はこの作品が古代ギリシャの悲劇ではなくフランスの古典劇であるということだ。17世紀フランスの神と運命に関する考え方を反映した芝居であることを反映したのか、劇中で何度か十字架を模した照明も使われている。能、ギリシャ悲劇、キリスト教といろんな宗教的象徴がてんこ盛りなので、そのせいでちょっと一貫性のない印象を受けるところもあった。

 役者は皆達者で、緊張感のある演技だ。フェードルを演じる大竹しのぶ、アリシー役の門脇麦がとても良かった。