巨大な名匠、最低のボス~『キューブリックに愛された男』+『キューブリックに魅せられた男』(ネタバレあり)

 『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』を試写会で見てきた。どちらもスタンリー・キューブリックの助手をしていた人に関するドキュメンタリー映画である。前者はキューブリックの運転手兼世話係で家庭における助手だったエミリオ・ダレッサンドロ、後者は映画製作分野の助手だったレオン・ヴィターリに焦点をあてている。

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 エミリオとレオンはかなり違う個性の人なのだが、キューブリックとの関係は似ている…というか、キューブリックは自分が気に入ったスタッフをけっこう突発的に雇い入れ、信頼できると思うとどんどん要求を増やしていって、とてつもない献身を要求するようになる…ということを繰り返していたらしい。エミリオもレオンもキューブリックのペースに巻き込まれ、際限ない献身を要求され、もともと計画していたキャリア(エミリオはレーサー、レオンは役者)をあきらめ、私生活がどんどん削られていく。それでも途中でイタリアに一度帰ったエミリオはまだマイペースというか、人生をキューブリックだけにしない努力をしていたのだが、レオンに至っては全く人生の全てを捧げてしまったと言っていい。キューブリックのほうも、エミリオに対してはちょっと甘えて相手の親切心をくすぐるような態度を見せることもあったようだが(『アイズ・ワイド・シャット』を作った時の話なんかまさにそうだ)、レオンに対しては暴君だったらしい。

 

 そういうわけでキューブリックは最低のボスなのだが、問題はこの最低ぶりは全て、良い映画を作りたいという完璧主義的理想から来ているということだ。少なくともこの2作に出てくるかぎりでは、キューブリックのとんでもない要求は全て自作の芸術的な完成度に直接的にかかわっていることで、個人的に誰かが嫌いだとか、自分がいい目をみたいというようなこととは関係ない。これは最近問題になっているハーヴィ・ワインスティーンみたいな、映画のクオリティとは全く関係ないところで(むしろ映画のクオリティの低下につながるようなことをしてまで)私腹を肥やしていた連中とは一線を画している。このため、手伝っているほうもキューブリックに悪意がなく、ボスが自分の映画のクオリティにとんでもない情熱を注いでいることだけは理解できるので、ついつい助けを打ち切るタイミングを失ってそのペースにのせられてしまうというところがあったようだ。芸術的な共依存みたいな関係で非常によろしくないし、キューブリックは巨大な名匠かつ最低のボスなのだが、一方でそういう人生を生きて誇りにしているエミリオやレオンについては悲惨な人生として切り捨てるようなことは全くできない…というか、むしろ本当に頑張りましたね、あなたの業績は偉大です、と驚嘆するほかないのだろうと思う。これは実際の人生であってフィクションではないので、エミリオやレオンの人生と、その素晴らしい仕事ぶりを否定することは誰にもできない。こういう映画作りの舞台裏のスタッフの仕事ぶりをとりあげることじだいに価値があると思うし、間違い無く興味深い。