言葉の重要性~松竹ブロードウェイシネマ『シラノ・ド・ベルジュラック』

 相変わらずろくにちゃんとした公式ウェブサイトも作っておらず、宣伝にやる気のない松竹ブロードウェイシネマの『シラノ・ド・ベルジュラック』を見てきた。デヴィッド・ルヴォー演出、ケヴィン・クラインがシラノ役、ジェニファー・ガーナーロクサーヌ役である。10年くらい前に撮影されたものらしい。セットは17世紀末のパリの街を模した伝統的なもので、衣装などもわりとオーソドックスだ。

 この演目については、2018年に日本語の舞台を一度見たことがあるのだが、その時に比べるとかなり言葉の力に重点を置いた演出になっているように思った。ケヴィン・クラインのシラノは快男児ではあるのだが、詩人らしいこだわりのある人物で、自分が紡ぎ出す言葉の美しさに絶大な自信を持っているし、詩に対する愛が深い。ひょっとするとロクサーヌ以上に自分の詩を愛しているのかもしれず、また自分の容姿にやたらとコンプレックスを持っているのも、文才、つまり言葉の美しさに対する自信が強すぎることと関係があるのかもしれない。だからこそ若くて颯爽としたクリスチャン(ダニエル・サンジャタ)に自分の言葉を貸すことで、美しい言葉に見合った美しい容姿を手に入れようということを考える。

 しかしながら、シラノが操る言葉の力というのは恐ろしいものだ。シラノの文才は口下手なクリスチャンをあたかも詩の達人のように見せかけ、ロクサーヌの心に実際は存在しない人間(詩才に満ちたクリスチャン)への恋心を生み出す。さらにシラノが口八丁で月から落ちてきた人間のフリをするところでは、いつもは真面目なド・ギッシュ(クリス・サランドン)までちょっと乗せられてしまうといったように、シラノは言葉だけで人の認識とか空間を歪曲させてしまう力を持っている。シラノは言葉の力だけでロクサーヌとクリスチャンと、さらには自分の人生までメチャクチャにしている。『シラノ・ド・ベルジュラック』は、ものを書く人は恐ろしい人心操作の力を持っているという物語である。物書きにつきまとう人というのはたまにいるらしいのだが、書いた言葉が妙な宛先に届いたせいで存在しないものに対する恋心がかき立てられるということはおそらくシラノに限らずたまにあることなのだと思う。

 一方、人の人生をメチャクチャにも幸せにもするシラノの文章の力は、シラノの剣の力よりもはるかに強力だ。その点では『シラノ・ド・ベルジュラック』は、「ペンは剣よりも強し」ということを負の形で悲劇的に示した芝居でもあるわけである。シラノの剣は人を美しくしないが、文才は人を美しくするのであり、価値観を転覆させる強い力を持っている。