原発というマッチョな「意識の高さ」~福島三部作第一部『1961年:夜に昇る太陽』(配信)

 DULL-COLORED POPによる福島三部作第一部『1961年:夜に昇る太陽』をTPAMの配信で見た。福島県出身の谷賢一が福島県双葉町原発を主題に作った大作の一作目である。初演時は私は都内にいなくて見られなかったのだが、待望の再演ということで、今回、配信で見ることができた。

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 第一作は双葉町から東京に出て大学で科学を学んでいる穂積孝(内田倭史)が故郷を捨て、家族の意向に逆らって東京に出て道を切り開こうと考える様子と、東電が双葉町原発を作る計画を持ってくる交渉の様子を描くものである。照明やセットは全体的に昭和の映画かテレビドラマみたいなリアルな感じだが、途中で人形劇が入るなど、演劇的な仕掛けもけっこうある。人形劇のちょっと芝居がかった使い方は『銀杯』を思い出した。

 衰退しつつある地方の町を窮屈に感じる若者の心境が非常にリアルに描かれている一方、そこに入り込んでくる原発という産業のまがまがしさがチラチラとほのめかされていて、この後どうなるかを知って見ているとまるでホラーの前触れみたいである。原発が単に偽善的だとか不吉だとかいうだけではなく、昭和っぽいある種のマッチョな「意識の高さ」みたいなものを伴って入ってくるあたりが極めて不穏かつリアルだ。終盤、原発を双葉に持ち込もうとする東電などの人々と孝の祖父である正(塚越健一)を中心とする穂積の家の人たちが交渉するところはすごい緊張感だ。この場面では一応原発側にも女性がいるのだが、経済と技術の発展をとにかく推し進めたい佐伯(荒井志郎)と昔気質の正という二種類の「男らしさ」がぶつかりあう場面である。母である豊(百花亜希)が口にする原発に対する不安はかき消される。日本式にマッチョな昭和の世界である。

 演目のクオリティじたいには全く文句はないのだが、配信の質についてはあんまり良くない。まず、私はライヴ配信ではなく翌日の配信で見たのだが、途中で配信が停止して戻らなくなってしまい、後からアーカイヴ配信が追加された。音声とかカメラワークとかもあんまりこなれた撮り方ではない。音声がたまに割れ気味になっているところがあるし、とくに舞台全体が暗い場面の撮り方はもっと工夫してもよいと思った(たまに入ってくる上からの撮影は悪くない)。あと、これだけの大作なのに、キャストやスタッフが一目でわかるページがウェブサイト上に設置されていない。