1本の映画としては面白いが…『ブラック・ウィドウ』(ネタバレあり)

 『ブラック・ウィドウ』を見てきた。久しぶりのMCU公開作で、またアベンジャーズでは古株なのに単立の映画がなかったブラック・ウィドウことナターシャ(スカーレット・ジョハンソン)がやっともらえた主演作である。さらにMCUで初めて女性(ケイト・ショートランド)がひとりで監督した映画でもある(『キャプテン・マーベル』は監督が二人いた)。 

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 物語は90年代半ばのオハイオ州でナターシャとエレーナの小さな姉妹がメリーナ(レイチェル・ワイズ)とアレクセイ(デヴィッド・ハーバー)の娘として暮らしているところから始まる。どこにでもいるようなよくある仲睦まじい家族に見える…のだが、実はこの一家はロシアの工作員で、メリーナは科学者、アレクセイはロシアのスーパーソルジャーで、任務のために偽装結婚していた。一家はS.H.I.E.L.D.の追跡を振り切ってキューバに逃亡し、そこでナターシャとエレーナは養親から引き離されてレッドルームという女性スパイ訓練施設に預けられることになる。もともとその施設にいたナターシャは嫌がるが、無理矢理再入所させられる。

 21年後、ナターシャはノルウェーで逃亡生活を送っていたが、一方でエレーナ(フローレンス・ピュー)はいまだにブラック・ウィドウ(これはナターシャだけではなく組織に所属している女性スパイ全員を指すらしい)として活動していた。逃亡したウィドウを殺した際、そこで摂取した薬品で洗脳が解けたエレーナはこの洗脳を解く薬をナターシャに送りつける。自分が狙われた原因がこの薬だと知ったナターシャはエレーナを訪問しようとする(あるいはケンカを売りに行く)が…

 恋愛などは一切なく、偽装だったはずの家族が親愛の情を取り戻し、姉妹が連帯して女性虐待組織であるレッドルームに戦いを挑む物語になっている。アクションもキレがいいし、お話はわりと心温まるファミリードラマだし、一家を演じる役者陣はみんなよくハマっている。ナターシャは大活躍で、アクションだけではなく、話術で相手から知らないうちに情報を引き出してしまういつもの得意技(これがナターシャの一番の必殺技だと思う。他のアベンジャーはこれがほぼ出来ない)も華麗に披露してくれる。とくにフローレンス・ピュー演じるエレーナが大変良いキャラクターで、初めて得た自由を謳歌しようとするところが生き生きしている一方、別に姉の活躍に嫉妬しているわけではないのだがところどころアベンジャーズの大げささをからかうような発言をして、映画全体に気持ちのいいユーモアをもたらしてくれる。エレーナがナターシャお得意の髪の毛ハラリの三点着地をからかうところはかなりメタなジョークだし、個人的にはアレクセイのコードネーム(本当は「レッド・ガーディアン」)を「クリムゾン・ダイナモ」(あんまり強くないヨーロッパのサッカーチームみたいな響きだ…と思ったら本当にそういうキャラがいるらしい)と勘違いするところも笑えた。

 1本の映画として見るととても面白い作品である。ちょっとロシア語の考証が甘すぎないかとか、アレクセイの笑われキャラ扱いがやりすぎではないかとかいうようなところはあるのだが、それ以外は大変ちゃんとしたヒロインアクション映画だ。非常にしっかり仕事をしており、彼女の交渉能力・コミュニケーション力・事務処理能力なしにアベンジャーズは回らないのにどうもお色気要員みたいな扱いで実に不遇だったナターシャがちゃんと自分の物語を語る機会を得たというだけで嬉しい作品ではある。

 ただ、見ていてけっこうきついのは、これが『アベンジャーズ/エンドゲーム』の前の作品だということだ。ポストクレジットで示されているように、既にナターシャは本作終了時には亡くなっている。あの死に方は正直まったく許せない感じだったのだが、別に『ブラック・ウィドウ』にはあの死亡の許せない感を改善してくれるようなところはない。本作でナターシャは、自分には愛してくれる家族がたくさんおり、さらにそのメンバーはナターシャのために身を犠牲にしてでも戦ってくれるということを知ったわけだが、そんなナターシャはエレーナの自己犠牲を止めるのである。一方でナターシャはドレイコフの娘を殺しかけたことを非常に後悔しており、父親によってタスクマスターに改造された娘を救おうとしてある程度成功する…ものの、いまだに後悔の念が残っているようだ。しかしながら基本的には悪いのは全部ドレイコフだろうという気がするし、ナターシャも最初は洗脳に近い状態だったんだから、別に私はこの件でナターシャに自暴自棄になったり、不必要に気に病んで後悔や自己犠牲に突き進むような道は選んで欲しくない。しかしながら『エンドゲーム』の自己犠牲の展開からすると、ナターシャは自分が今まで行ってきた悪いことを過剰なまでに悔やんでいて、その悪いことの最たるものがドレイコフの娘の件だったのだろう…という解釈をせざるを得ず、正直なところ、これはかなり居心地の悪い解釈である。別にそんなに優しく正しく生きなくてもいいとナターシャに言ってあげたい。

 なお、最後に特大のネタバレをしようと思う。映画館で終映直後、近くに座ってた女性ふたりが、ポストクレジットシーンで提示されるべき写真はクリントではなくルッソ兄弟であるべきではと指摘していた。私もそう思う。