『パーフェクト・ケア』を見た。
ヒロインであるプロの後見人マーラ(ロザムンド・パイク)は恋人のフラン(エイザ・ゴンザレス)と一緒に、老人を要介護認定させて後見人となり、財産を売り払って儲けを出すという悪辣な詐欺行為で稼いでいた。ある時、天涯孤独らしいリッチな老婦人ジェニファー(ダイアン・ウィースト)を無理矢理要介護者に認定させて財産を奪おうとする。ところがジェニファーはどうも犯罪組織のボスであるらしい男(ピーター・ディンクレイジ)とつながりがあり、マーラは組織に狙われるようになる。
アメリカにおける高齢者後見制度の悪用を描いた諷刺コメディである。最近までブリトニー・スピアーズが成年後見制度のせいでかなり悪質な人権侵害を受けていたというニュースもあり、非常にタイムリーな作品だ。ヒロインであるマーラは大変なワルで、一見人当たりがよく、ケアの専門家らしい振る舞いで裁判所の支持をとりつけるのだが、実は犯罪組織のボスと対等に渡り合えるくらい狡猾であくどい。唯一、マーラが全面的に信頼しているのは恋人のフランで、自分とフランを守るためならマーラは何でもやる。電子タバコをくゆらしながら楽しそうに老人の財産を売り払うマーラはかなりキャラの立った悪役である。
そういう映画でマーラとフランがレズビアンのカップルだというのはとても意味がある…というか、これでマーラの恋人が男性だったとしたら、マーラに伝統的な男性に尽くす女性という側面が付与されてしまってちょっとつまらなくなる気がする。恋人が女性であるせいで、全く男性に尽くす気も頼る気もなく、男性を怖がらないマーラのキャラクターがよく出てくるようになっている。ただしマーラはまったく女性同士で連帯するなんていうことはせず、おばあさんたちを食い物にして稼いでいて、そのへんは清々しいほどの悪党である。
そういうわけで珍しくキャラの立った悪党女性をヒロインにしたピカレスクもので、敵役で出てくるピーター・ディンクレイジもいいのだが、最後がまったくいただけない。この映画は諷刺的なブラックコメディで、マーラの行動を肯定しているわけないのは明らかなんだから、あんなふうにマーラが唐突に殺されるなんていうハリウッドらしい説教くさい終わり方にはすべきでなかったと思う。こういう「悪い女は死ぬべきである」という終わり方はハリウッドが大好きなものだ。たとえばサマセット・モームの戯曲『手紙』(1927)はそれはそれは悪い女が主人公なのだが、1940年に映画化された部ディ・デイヴィス主演の『月光の女』では最後にわざわざヒロインが復讐のため殺されるという場面が付け加えられていた。これはヘイズ・コードのせいで悪い女が映画の最後まで生き残って罰も受けないというのはあり得なかったからだが、2020年になってもまだヘイズ・コードみたいな映画作りをしているのか…と思ってしまう。