漂白された雪景色~『ユンヒへ』

 『ユンヒへ』を見た。

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 韓国に住むユンヒ(キム・ヒエ)は離婚し、ひとりで娘のセボム(キム・ソへ)を育てていた。そこに届いたジュン(中村優子)という女性からの手紙をきっかけに、いろいろあってユンヒはジュンが住む北海道の小樽に旅をすることになる。セボムはいろいろ画策して2人を会わせようとするが…

 女性同士の細やかな恋愛感情に母と娘、おばのマサコ(木野花)と姪の関係などを丁寧に描いている作品である。そこに韓国と日本、両方の国での性差別や民族差別を絡めている。クィア映画としてはよくできた作品だとは思う。

 しかしながら、道産子である私がものすごく違和感を抱いたのは小樽の描写である。フィルムコミッションがかかわっていて小樽の地元の風景がたくさん織り込まれた観光映画なのだが、この小樽の描写が韓国の描写に比べて生活感に欠け、ほぼ理想化された観光地としての雪国、ある種の漂白された雪景色になっている。全体的にこの作品では積もる雪は何でも隠してくれる覆いでもあり、真っ白で無垢な感情を保存してくれるものでもあり、やむことを待つ試練でもあり…というふうに非常に便利な象徴みたいになっていて、どうもそこにある種の雪国オリエンタリズムみたいなものを感じてしまって好きになれなかった。とくにマサコが冒頭、「雪はいつやむのかしら」と言っており、これがある種のキーワードみたいなセリフになっているのだが、まず北海道の女がこんな穏やかな調子で「かしら」なんていう言葉を使って雪の話をするかなぁ…というところにひっかっかったし、最後にこのセリフにオチをつけるやり方についても、ずいぶん雪を安直にロマンティックなものと見なしているような気がして好きになれなかった。ここ以外でも、なんか話が大事なところになると急にマサコやジュンが内地人っぽい話し方になるところがあり(ジュンがユンヒあての手紙で「わね」みたいな女言葉を使っているところが一箇所あったのだが、ふだんそういうふうにしゃべっていないのに手紙の大事なところでだけそうなるのは不自然だと思う)、そのあたりがあんまりのれなかった。これは完全に私が北海道出身だからという個人的な趣味の問題なのだが、そりゃまあ小樽は韓国からどんどん観光客に来てほしいからこうなるだろうけど、試されまくっている大地である北海道がこんな理想化された場所として描かれるのを別に見たくはないですよ、というところだ。

 この映画はレズビアンのロマンスについては商業化も理想化もせずきちんと描いているが、一方で小樽の描き方は非常に商業化かつ理想化されていると思う。よく考えてみるとこの手のフィルムコミッション関係の先行作としては『his』があり、これはむしろゲイのロマンス映画としてはいろいろツッコミたくなるところがあったが観光映画としてはよくできているというようなもので、『ユンヒへ』の逆の方向性と言っていいかもしれない。クィア映画とフィルムコミッションというのは、セクシュアルマイノリティと資本主義という観点からはちょっと考えてもいいテーマかもしれない。