全然面白くなかった…新国立『ペレアスとメリザンド』

 新国立で『ペレアスとメリザンド』を見てきた。メーテルランクの戯曲の基づくドビュッシーのオペラで、ケイティ・ミッチェル演出によるものである。この演目は初めて見た。森で泣いていたところを発見され、発見者であるゴロー(ロラン・ナウリ)の妻となったメリザンド(カレン・ヴルシュ)が、ゴローの弟であるペレアス(ベルナール・リヒター)と恋に落ちてしまうという物語である。

 正直なところ、全く面白くなかった。かなり雰囲気重視の展開で、物語をきちんと観客に理解させる気はほとんどないようである。全体がメリザンドの夢の枠に入っており、そのため劇中にメリザンドが2人出てきたりするのだが(片方は傍観者みたいな感じ)、夢の中で繰り広げられる話はメリザンドがひたすら性的にアプローチされまくり、虐待され、最後は死んでしまうドロドロの不倫劇である。全体的に食い過ぎてそのまんま変な姿勢で寝てしまった時に見る悪夢みたいな感じの作品になっている。

 一番私が気に入らなかったのは、音楽と演出が全然あっているように見えないことだ。このオペラの音楽は自然の音を模した表現が大変多く、流動的で指の隙間からこぼれていく水のような柔軟さがあり、歌詞にもいろいろ自然に関する言及が存在する。全体的には、音楽によって大きな美しい自然と、そこで生きている儚く小さな人間を対比しているように見える…というか聞こえるのだが、この演出はケイティ・ミッチェルらしく、セットや動きがものすごく閉所恐怖症的で、耳から入ってくる情報と目に見える情報の齟齬がかなりある。舞台をいくつかの部屋に区切り、使わないところは幕を下げて覆っておくという演出なのだが、全てが室内で、さらに箱みたいな空間で歌手が動ける場所が少ない。冒頭の森の場面は寝室で展開するのだが、耳からは木々の間を吹き抜ける風とか水面の反映とかを表現していると思われる音楽が入ってくるのに視覚的にはベッドの上で人間がうろちょろしているだけで、ミスマッチがすごい。セットを現代の家にするのは別にいいので、もうちょっとこの流れるような音楽に合わせて広くフレキシブルに空間を使えないのだろうかと思った。

 この耳から入ってくる情報と目に見える情報に齟齬があるというのは、歌詞と演者の動作の間にも言えることだ。歌詞では「暗い」と言っているのにやたら照明が明るい部屋で展開される場面がある。また、高い位置に立っているメリザンドがゴローの額を拭こうとして頭を下げるように歌いかけるところがあり、それはどう見ても矛盾しているだろう…と思った。全体的に歌詞が示している動きを尊重しない演出で、そこも気に入らなかった。