優しいが易しくはない映画~『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

 金子由里奈監督『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を見てきた。同名の原作の映画化である(かなり前だが小説も読んだことがある)。

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 恋愛をしたい気持ちがない七森(細田佳央太)は立命館大学(と思われる)に入学し、ぬいぐるみサークルに入る。ぬいぐるみサークルはぬいぐるみを作るサークルと名乗っていたが、実はぬいぐるみに話しかける人たちのサークルだった。七森はぬいぐるみサークルで活動しつつ、同じサークルメンバーの白城(新谷ゆづみ)と付き合ってみようとするが…

 アセクシュアル・アロマンティックで伝統的なジェンダーロールにも馴染めない七森を中心に、ぬいぐるみとの話を通して見えてくる傷つきやすい若者たちを描いた作品である。七森は他の人たちが恋愛をしているのを見て、自分も恋愛をしたほうがいいのでは…と思い、ぬいぐるみサークルの中ではずいぶんと社交的な白城と付き合ってみるのだが、結局ロマンティックな感情は生まれない。七森は白城を傷付けてしまったと後悔するのだが、ひょっとすると白城みたいなタイプの女性はこういう男性と付き合ってみたいほうがよかったのかもしれない…とも思う。白城は自分はボーイフレンドと続かなくて1年生なのに既に2人と別れたと言っており、ぬいぐるみサークルの中では最も世間の同調圧力に従って生きている。そういう女性にとっては、七森みたいな世間に迎合しない男性もいるのだということを知るのは成長なのかもしれないし、最後に白城が言うセリフは、おそらく白城がこうした経験から得たものを示唆している。別に人間は自分を成長させるために人と付き合うわけではないので、七森のちょっとした事故みたいな求愛のせいで白城が成長したというのはまあ皮肉な話なのだが、人間、うっかり成長してしまうこともあるのでしょうがない。

 白城以外でこの映画に出てくる人たちは、ストレスの多い現代社会ではかなり無理して生きているのであろう、やさしい人たちである。優しいというのは立派な人格の表れであり、よいことであるはずなのに、優しい人たちというのは弱いとかちょっとしたことでも気にしすぎだとか世間についていけていないと言われ、世間からはたやすく受け入れてもらえない。たぶん、この映画を見ていて、「こんなに他人のことを気にするのはよくわからない」と思う観客もいるだろうし、その意味ではこの映画は優しい映画ではあるが易しい映画ではない…というか、普段多くの人間がどれだけ鈍感に生きているかということを非常に辛辣に突きつけてくる映画である。この映画に出てくる中では白城が一番「フツー」なのだが、映画を見ているうちにだんだん、実は世間にあわせて無理もしている白城のほうがへんてこりんなのではないか…というある種の異化みたいな現象が起こる。そういう点ではこの映画は逸脱を逆転させるみたいな作りで、かなりクィアな映画でもある。

 なお、私は家に山ほどぬいぐるみがいるのだが、この映画では基本的にぬいぐるみにい話しかける人しか出てこなくて、ぬいぐるみ同士に話させる人は出てこない。私はぬいぐるみに話しかけるのはしなくて、ぬいぐるみ同士にふざけたコントみたいな会話をさせたりするので(私はぬいぐるみに話しかけないのでやさしくない)、たぶんぬいぐるみに求めているものが違うんだろうと思う。とてもいい映画だと思うが、ぬいぐるみ観の違いも感じた。