自動運転という悪~『ワイルド・スピード ファイヤーブースト』(ネタバレあり)

 『ワイルド・スピード ファイヤーブースト』を見てきた。ワイルド・スピード10作目で、一応11作目と前編・後編みたいな位置づけになっている(このため完全に話の途中で終わる)。

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 10年前にドム(ヴィン・ディーゼル)が打ち負かしたブラジルの麻薬王レイエスの息子ダンテ(ジェイソン・モモア)はしつこくドムのファミリーを狙っており、ローマでファミリーを罠にかける。レティ(ミシェル・ロドリゲス)は逮捕され、他のメンバーも逃亡の身となる。ダンテはドムを単に殺すのではなく、ファミリーの面々を苦しめたり殺したりすることでドムを生き地獄に味あわせる計画だったが…

 とにかくワイスピなので話がめちゃくちゃなのはいつも通りなのだが、今回は制作が混乱した上、シリーズが長くなるにつれてドムがやたらにいろんな人をファミリーに引き入れて登場人物が多くなっているため、話が広がりまくっていつもに輪をかけてとっちらかっている。いつのまにか歴史改変がなされていたり、うっかりしているうちにドム一家がヴァティカンを救っていたり、死んだはずの人が生き返っていたり、この間までは不倶戴天の敵だったはずの人が助けてくれたり、そこそんなジョーク要るかいなというような笑いが差し挟まれたり、もう何が何だかよくわからない。映画の上映時間が進むにつれて、理性がこの映画を楽しむためには細かいことを気にしてはいけないということに気付き、どんどん辻褄のハードルを下げるよう要求してくるので、見終わった時にはなんかすごくやさしい人になったような気持ちになれる(褒めてるつもり)。

 この映画はとにかく車がファイヤーブーストしまくっているのだが、一番ファイヤーブーストしているのは悪役のジェイソン・モモアである。モモア演じるダンテ・レイエスは、こんなあからさまにゲイゲイしい悪役は80年代、いや60年代から見てないのではないか…と思うようなキャンプな悪役で、やることなすこと全部おかしいしスケールが違う。ジョーカーのパロディでは…と思われるようなところも多いのだが、私はむしろ『唇からナイフ』(私がこよなく愛している60年代のアホスパイアクション)でダーク・ボガードが演じていたガブリエルみたいだと思った。アンドロジェナスで華やかで楽しそうなダンテは、ストイックでいかにもマッチョなドムのアンチテーゼとも言えるような存在で、悪役としてのキャラ立ちは実に見事なものなのだが、一方でこれでダンテがただただ悲惨なボロ負けをすると、昔ながらの「めめしい男は悪役で罰を受けなければいけない」というステレオタイプにハマりそうな気がするのでそこがちょっと心配だ(今考えると『007 / スカイフォール』は若干そういう要素があった気がするのだが、ただダンテ・レイエスは『スカイフォール』のシルヴァの比ではないほどはっちゃけている)。ただ、何しろこの作品は前編で、後編にどうオチをつけるのかまだ全くわからないので、そのへんはまだ判断できない。

 あと、これは既に『ワイルド・スピード ICE BREAK』あたりからそうだったと思うのだが、ワイスピシリーズには「テスラみたいな自動運転車はゴミ技術で道路の安全に対する脅威で悪人のオモチャである」という強い交通安全上(?)のメッセージがあると思う。自動運転が出てくるとたいてい悪党に乱用されるが、ファミリーのメンバーの素晴らしい運転技術により打ち負かされる。どうもワイスピシリーズには、「ハンドルの後ろにいる人間は全ての属性が消え、その時の運転技術と善意という徳だけで判断される」という偏ったユートピア的世界観が存在するので(とはいえマッチョな世界観ではあるのだが)、ハンドルの後ろに人がいない自動運転は人間を美徳から疎外するものとして描かれているのだろうと思う。