GoodとHappy~ナショナル・シアター・ライブ『善き人』

 ナショナル・シアター・ライブで『善き人』を見た。グラスゴー出身のユダヤ系劇作家C・P・テイラーの戯曲で、ドミニク・クック演出の作品である。1981年初演でイギリスでは有名な芝居だそうで、映画化もされているのだが、一度も見たことなかった。

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 1933年から1941年くらいまでのドイツが舞台で、主人公は研究者のジョン・ハルダー(デイヴィッド・テナント)なのだが、そんなに直線的に進む話ではない。ハルダー以外にもいろいろな登場人物が出てくるのだが、そのほとんどをエリオット・リーヴィーとシャロン・スモールがとっかえひっかえやっており、ほとんど衣装替えもしないで性別や民族が違う人に次々と化ける。ハルダーには高齢でおそらく認知症か何かの重い病気にかかっている母がおり、妻子もいて穏やかに暮らしていたが、指導学生と恋に落ちてしまい、さらに著作がナチスに気に入られてしまう。そのままジョンはどんどんナチスから重要と見なされる仕事をまかされるようになり、ユダヤ人迫害に深くかかわるようになる。

 衣装替えもなく切れ目無く進んでいく話なのだが、途中で1回だけ、ジョンが舞台上で着替える場面がある。なんと舞台で背広を脱いでナチスの制服に着替えるのだが、ここが極めてショッキングである。最初は真面目な研究者で大学の先生であり、ユダヤ人の親友もいてあまり人種差別的な発想には馴染みがなかったはずのジョンがいつのまにかナチスの中枢に深く入りこんでおり、日常的な習慣としてとくになんとも思わずナチスの制服に着替えるようになっているということが衝撃的だ。

 ここで大事なのはこの作品の英語タイトルがGoodだということだ。ジョンは自分はGood、つまり善い人間だと思っているのだが、途中で何度か自分はHappy(幸せ)な人間だと口にしており、たぶんそういうことを口にする時の表情や行動からして、明確には言っていないもののHappyでいるほうがGoodでいるよりも大事だと思っている。このため、Happyの重要性の前にはGoodがすぐ屈する…というか、HappyでいればGoodであり続けられると思っているフシがあり、自分のHappyの継続のためならすぐに安易なほうに流れ、自分が考えるGoodを妥協させてしまう。序盤で教員としてはどうかと思うようなやり方で指導学生のアンを口説くのもHappyであることにGoodが屈したからだ。このHappy至上主義がナチス体制への順応にもつながっており、ジョンはHappyであり続けるためにナチスの制服を着るわけで、そこが視覚的に表現されるのがとても怖い。人間が幸せを求めることじたいが場合によっては善と衝突し得るということを描いている作品だと思う。