カンガルーと辺獄とわたし~『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』(ネタバレ超注意)

 『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』を見てきた。

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 おそらくアデレード郊外と思われるところが舞台である。17歳のミア(ソフィ・ワイルド)は母の自殺から2年たっているが、なかなか立ち直れず、父との関係もうまくいかずに親友ジェイド(アレクサンドラ・ジェンセン)の家に入り浸っている。そんな中、近所のティーンの間で、握って話しかけると霊に接触できるという手を使った降霊パーティが流行し、ミアも降霊パーティで憑依を楽しむようになる。ところがジェイドの弟でミアの弟分的な存在であるライリー(ジョー・バード)が憑依から抜け出せなくなり、自傷行為を繰り返して入院してしまう。責任を感じたミアはなんとかしようと対策を考えるが…

 出てくる降霊パーティはドラッグのオーヴァードーズのメタファーと思われ、全体的には「ドラッグはやめよう」みたいな話なので、まあ教訓的なよくある話とは言える。さらに途中でいきなり死霊がリンボ(辺獄)にいるのかもしれないとかいう話をクリスチャンのダニエル(オーティス・ダンジ)が言い始めてみんなそれを信じており、いやいやホントか…とツッコまざるを得ないのだが、どうも登場人物の頭の中ではキリスト教的なリンボにライリーが閉じ込められていることになっているらしいので、けっこうキリスト教的な霊魂観に基づくホラーだと思う(それなのに誰も辺獄の神学的な概念を学んで対抗しようとか思わないあたりがちょっとイラつくのだが)。

 あと、冒頭のカンガルーの話はけっこう問題含みな論点を提示している気がする。ミアとライリーは車で移動中に瀕死のカンガルーを見つけて、ライリーは苦しんでいるからカンガルーを楽にしてやるべきだと言うのだが、ミアはカンガルーをひき殺して楽にしてやることができない。カンガルーが有袋類で、子どもをお腹に入れて動き回る動物であり、母子の絆みたいなものを象徴していることを考えると、これはミアが母の自殺を受け入れられず、その後に母を装う悪霊に取り憑かれてしまう伏線なのかもしれない。そしてこの映画ではカンガルーを轢き殺すのがたぶん倫理的に正しい選択肢であってそれができないミアは弱いのだということが描かれていると思われ、最後にほとんど同じような形で今度はミアが取り憑かれたライリーを殺すかどうかという選択肢が提示される。ここでミアは結局ライリーのかわりに自分を殺すので、それがミアの成長…というか最初と違って勇気があるというオチになっているのだが、安楽死とか自殺を倫理的に正しい選択肢として提示するというのは、象徴的なものだとわかっていても私にはやや抵抗がある…というかけっこうマッチョな世界観である気がした。

 なお、タイトルは『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』で、これは呪物の手と話す時に使うフレーズなのだが、ミアは亡き母から「ミー」と呼ばれている。つまり『トーク・トゥ・ミー』というのは「わたしに話しかけて」というだけではなく「ミー/ミアに話しかけて」ということになる。これはけっこう気の利いたタイトルだと思った。