白人男性中心すぎないか?~『ネクスト・ゴール・ウィンズ』(試写、ネタバレあり)

 タイカ・ワイティティ監督『ネクスト・ゴール・ウィンズ』を試写で見た。米領サモアの代表サッカーチームがどん底状態から浮上するまでを描いた作品で、ある程度実話に基づいている。

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 米領サモアの代表サッカーチームは今まで1回もゴールを決めたことがなく、2001年のワールドカップ予選では0-31という史上最低の記録で敗北してしまう。チームはてこ入れのためアメリカからコーチとしてトーマス・ロンゲン(マイケル・ファスベンダー)を招聘するが、トーマスはかつては優秀だったものの最近は酒浸りでさっぱりという状態だった。それでもトーマスは地元の人々の応援を経てなんとかチームを立て直そうとするが…

 スポーツ映画としては悪くなく、そんなに新鮮味はないが楽しめるところはたくさんある。監督のワイティティ本人が最初と最後に出てきて、全体がサモアでこれからも語り継がれるお話ですよ…みたいな枠に入っているのだが、これはちょっとワイティティの前作『ソー:ラブ&サンダー』に似ている。ファスベンダーはもちろん地元民の役で出てくる役者陣も好演している。

 ただ、ちょっと白人男性中心で、現地のサード・ジェンダーであるファアファフィネ(西洋の概念ではトランスジェンダー女性に近いが、たぶん完全に一致はしていないと思う)を軽視しているのが気になった。実際にこの時のサモアのチームにはファアファフィネのジャイヤ・サエルアが出場しており、実際にファアファフィネであるカイマナがこの役を演じていて演技は申し分なく上手なのだが、展開があまりよくない。トーマスが自分のチームに女性であるジャイヤが入ることに対して強い抵抗を示し、ジャイヤをわざと男性の名前で呼ぶなどトランスフォビックな行動をとるのだが、これは相当に盛っているそうで、実際のトーマスはそんなにひどくなかったらしい。それでトーマスはジャイヤに殴られるのだが、その後ジャイヤが自分からトーマスに謝りに行くという展開になっており、いやたしかにコーチを殴るのは悪いが、トーマスがハラスメント行為を働いたのが先なんだからお前から謝れよ…と思ってしまった。このへん、白人男性が優遇された展開になっていると思う。

 さらにトーマスがジャイヤに手術のことを聞いたり、ジャイヤが最後に試合のためにホルモンをやめたと言って不安で泣いたりするのだが、これはずいぶんと西洋的な考えに基づいたセンセーショナルな展開だと思う。ファアファフィネは地元では伝統的にいる存在なので全く異質だとは思われていないということが序盤で描かれており、サモアの村の人たちはジャイヤを全然変わり者だと思っていない…というか、村人にとってはサッカー代表チームのメンバーでさらにハワイの大学にも行っている文武両道の有望な若者である。そういう環境だとジャイヤが自分の体のことについて相談できそうな年長のファアファフィネもいるのではないかと思うし、またサモアの伝統的な身体観が手術やらホルモンやらみたいな西洋医学の身体観に完全に一致しているかどうかもちょっと疑問なので、ジャイヤがことさらにホルモンのことを不安視してひとりで抱え込んでいるのは西洋中心的な展開で、必ずしもジェンダーがかっちりした二分法で動いているわけでもない社会に生きる人の身体をセンセーショナルに描きすぎているように見える。

 見ているうちに、トーマスがジャイヤを女性として認めたがらないのは、どうも単純なトランスフォビアの産物ではなく、トーマスが有望な女子サッカー選手だった愛娘ニコールの死を受け入れられておらず、女子選手の指導を躊躇しているかららしいことがなんとなくわかってくる。ジャイヤと和解したトーマスは、ジャイヤを自分の娘分のように扱って訓練を行い、だんだん精神の安定が得られるようになっていくのだが、これもちょっと白人男性を中心に置きすぎた展開だな…と思った。トーマスの回復のためにジャイヤが出てきて苦労させられているように見えなくもないので、あまり良くない。さらにそういう展開にしたいなら別にトランスフォビアをお話に持ち込まなくてもできると思うので(危険なので女子選手は男子チームでプレーさせたくないとトーマスが不可解なくらい頑固に言い張って皆があやしむ、とかでも話は進むと思う)、不必要に大げさだと思う。