『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』重版が出ました

 新刊『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の重版が出ました。初版の誤字などでご指摘があったところはだいたい直っているかと思います。間違いの指摘、ありがとうございます。

お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門
北村紗衣
書肆侃侃房 (2019-06-16)
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『アフター6ジャンクション』に出演しました

 7/3のTBSラジオアフター6ジャンクション』に出演し、「ウィキペディアとの正しい付き合い方」というタイトルでウィキペディアについて話しました。前回出演時に比べてそんなに聞き取りづらい固有名詞などはなかったように思うので、詳しい補足エントリはいらないかなと思うのですが、とりあえずとりあげた記事だけリンクしておきます。

ja.wikipedia.org

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『錬金術師』meets『ヘンリー四世』!~『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』におけるシェイクスピア化するMCU(ネタバレあり)

 『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』を見た。

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 主人公はもちろんピーター・パーカーことスパイダーマン(トム・ホランド)である。『アベンジャーズ/エンドゲーム』の後、5年間消えていたピーター、ネッド(ジェイコブ・バタロン)、MJ(ゼンデイヤ)はやっとふつうの生活に戻ることができ、勉強を再開して、科学クラブのヨーロッパ修学旅行を楽しみにしている。ところが、ピーターたちが出かけた先のヴェネツィアに怪物であるエレメンタルが出没し、パラレルワールドからやってきたヒーロー、ミステリオことベック(ジェイク・ジレンホール)がそれを迎え撃つことに…

 

 全体的にたいへんシェイクスピア風味の作品でちょっとびっくりした。まず、敵が「エレメンタル」、つまり四元素であるというあたりがまるで近世のお芝居みたいだ。火、風(空気)、水、土が世界を構成する「四元素」であるというのは古代ギリシア由来の科学観だが、近世でもお馴染みの考えで、シェイクスピアなどの英国ルネサンス演劇にもしょっちゅう登場する(クレオパトラは『アントニークレオパトラ』で、より高次の元素である火と風になって死にたいと言って自殺する)。そしてこの四元素と戦うミステリオがヒーローである…わけだが(以下ネタバレ)、実はミステリオはヒーローになりたがっている拡張現実技術の専門家で、スターク社を追い出されたことを恨みに思って怪物との戦いをでっちあげているだけであり、この四元素の怪物どもは全部インチキであった。ヒーローであるミステリオを支えているクリエイティヴチームがおり、全員で手の込んだ詐欺を演出していたのだ。これ、ベン・ジョンソンニセ科学を皮肉ったお芝居『錬金術師』に似た展開である。『錬金術師』では主人公である執事が詐欺師達とチームをつくり、偉大な錬金術師のフリをして皆から金を巻き上げようとする。ミステリオが率いているのは、ニセ錬金術師チームだ(ちなみに最後に出てくるエレメンタルは「テンペスト・エレメンタル」とかいう名前なので、たぶんミステリオは妖精たちを使って魔法で復讐をしようとする『テンペスト』のプロスペローでもあるし、また嫉妬ゆえに主人を陥れようとする『オセロー』のイアーゴーにも近い)。

 一方でこの作品の本当のヒーローであるピーターをめぐる展開ははるかにシェイクスピア史劇ふうである。フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)がヴェネツィアの船の上でピーターに「王冠を頂く頭は安眠せず」という『ヘンリー四世第二部』の有名な台詞を引用するが、この映画ではピーターがイタズラ小僧のハル王子、亡きトニーがいろいろすねに傷もありながら偉大な王として亡くなったヘンリー4世である。しかしながらこの映画のハル王子は騙されやすい無垢な少年で、トニーからもらった王冠(この映画におけるあのメガネは王冠の役割を果たす)が自分にふさわしくないと思い、簒奪者ミステリオに王冠を譲ってしまう。それが最後に次の王としての自覚を持ち、先代の遺志を受け継ぐ忠実な侍従であるハッピー(ジョン・ファヴロー)に支えられて王座に復帰するまでを描くのがこの話である。終盤、飛行機の中でコスチュームを選ぶピーターはトニーにそっくりで、ハッピーはそれを見てとても嬉しそうな顔をするが、これは文字通りピーターこそが先代の王トニーの衣鉢を受け継ぐ者だからだ。この作品は王位をめぐる壮大なシェイクスピア的ドラマである。

 

 そういうわけで、これはまるで古典的な史劇みたいな作品であるわけだが、一方でフェイクニュースポストトゥルースを倒すべき悪として見据えているところは『メン・イン・ブラック:インターナショナル』と関心を共有していると言える。どちらも力と才能を持つ悪党が嘘を真実であるかのように思い込ませ、騙されたことに気付いたヒーローが愚者の楽園に安住せず真実を選ぶ、というのが両作品のテーマである。しかしながらテーマの扱い方は『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』のほうがはるかに成熟しており、危機のないところに危機を作り出すショーマン、ミステリオは非常に奥行きのある悪役だ。さらにシェイクスピアなどを通してプロパガンダの技術が「フェイクの芸術」としての古典的な舞台芸術に接続されているあたりも面白く、終盤のミステリオはちょっとわがままな舞台演出家みたいに見えるところもある。

 

 他にもいろいろ小ネタ的に面白いところはある。レッド・ツェッペリンのくだりは笑えたし、メイおばさんの衣装は最高である。ゼンデイヤもあいかわらず良いが、ベクデル・テストはパスしない。

レズビアンで非白人のティーンであることが一大事ではない、画期的な青春映画~『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』(ネタバレあり)

 『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』を見てきた。

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 舞台はブルックリンのレッドフックで、寡夫のフランク(ニック・オファーマン)はあまり流行っていないレコード店を営んでいる。娘のサム(カーシー・クレモンズ)は父よりずっとしっかりしており、優秀な成績でUCLAの医学部に進学予定である。元ミュージシャンのフランクは家を離れる直前のサムとジャムセッションをするが、そこでできた曲をネットで配信したところ思ったより高評価を受ける。音楽の夢を捨てきれないフランクは娘とバンドを始めたいと思うようになるが…

 

 自由奔放だがちょっと子供っぽいところのある父と、はるかにしっかりした娘、双方の自立をユーモアをまじえてあたたかく描いている。小さな作品だがとても楽しく見ることができ、後味が良い。家主レズリー役のトニ・コレットやパブの主人役のテッド・ダンソン、おばあちゃん役のブライス・ダナーなど、豪華な脇役たちも含めて役者陣の演技もとてもハマっている。

 とくに良かったのは、サムは非白人、レズビアンでローズ(サッシャ・レイン)という同年代の恋人がいるのだが(ベクデル・テストはこの2人の会話でパスする)、それが全然、この作品で大きなテーマになっておらず、人生のよくある一断面として「医者になりたい」とか「音楽が好き」みたいな属性と同じレベルで描かれていることだ。フランクの亡き妻はバンド仲間で非常に音楽の才能があったらしいアフリカ系アメリカ人女性で、その娘であるサムはバイレイシャル、彼女のローズもバイレイシャルなのだが、この映画では人種問題が全然、大問題として出てこない。ブルックリンは非常にいろいろな民族が住んでいるところで、バイレイシャルな子供であることはどうってことないよくあることとして描かれている。さらに、この映画では父親であるフランクは娘がレズビアンであることを全く気にしていない。ラブソングを描いたサムに「彼女いるのか?ひょっとして彼氏か?」とかさらっと聞いたりするし、サムが夜遅く帰ってきてもフランクは心配して電話しろと注意するだけで怒らない。フランクは、本人がちょっと子供っぽくて子離れできていないところがあるとはいえ、サムの性的指向については非常にオトナな対応をしているし、娘の判断力を信頼しているという点では子供をよく見て気にかけている親だ。この映画はサムがレズビアンで非白人であることが全体のプロットに大きくかかわる問題として描写されておらず、サムが悩んでいる恋とか、音楽と医学の両立の問題とか、父との関係とかは全部、どこに住んでいるどんな子であろうとよく直面するような問題として描かれている。

 もちろん、同性愛差別や人種差別を描いた青春映画も重要だが、こういう同性愛者で非白人である女の子とその父のありがちな対立や苦労を丁寧に描いた作品も必要だと思う。というのも、非白人だとかレズビアンだとかいうのはたしかに人生において大事な要素だが、それだけがある人の人生を決める要素ではないからだ。ヘテロセクシュアルだったり白人だったりする人の人生全てが性的指向や人種で規定されているのではないのと同様、同性愛者だったり非白人だったりする人の人生にも性的指向や人種にあまり関係ない要素がたくさんある。そういう多面的な人生の描き方をここまで上手にきちんとやった映画はあまりなく、レズビアンの女の子や非白人の女の子がヒロインだとそれだけがテーマになってしまいがちなので、こういう映画は画期的だと思う。

小部屋に出没する亡霊たち~しあわせ学級崩壊『ハムレット』

 しあわせ学級崩壊『ハムレット』を見てきた。構成は去年の『ロミオとジュリエット』同様、音楽スタジオの小部屋で大音量の音楽にあわせて、シンプルな衣装を着た役者がかなり刈り込んだ『ハムレット』(1時間くらい)を上演する、というかポエトリーリーディングに近いような形で朗唱するものである。お客は立ち見である。

 

 前回の『ロミオとジュリエット』よりも動きが多くて工夫されているように思えた(お客を先王の亡霊などに見立てるところがあり、私も亡霊になった)。ただ、せっかくスタジオに鏡があるので、ポローニアスを殺すところとかは鏡をもっと使ってもいいのではと思った。前半30分くらいは刈り込んでるだけでふつうの『ハムレット』と同じような展開で進むのだが、終盤になるとちょっと付け加えられた台詞があったり、前の場面の台詞のフラッシュバックがあったりして、とくにポローニアスとオフィーリアまで亡霊になって戻ってきて、ハムレットを責めさいなむというような演出があるのはちょっと怖かった。最後はフェンシングの試合と劇中劇が交錯するみたいな終わり方になるのだが、ちょっとばたばたしているように思えたので、もう少し整理してもいいかもしれない。

7/14(土)のReadin' Writin' BOOKSTOREで新刊発売イベントをします

 新刊『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』発行を記念して、7/14(土)の19時より、浅草のReadin' Writin' BOOKSTOREで坂本邦暢さん(id:nikubeta)とイベントをします。「お砂糖とスパイスと哲学的な何か」というタイトルで、いろいろとゆるく新刊のことを話すイベントになる予定です。1000円かかりますが、お気軽にお越し下さい。

readinwritin.net

レインボーのスカーフ~文学座『ガラスの動物園』

 高橋正徳演出、文学座ガラスの動物園』を見てきた。言わずと知れたテネシー・ウィリアムズの有名作である。戯曲はかなり前に読んだことあるが、舞台で見たのは初めてだった。

 

 舞台は1930年代くらいのセントルイスである。夫に出て行かれたアマンダ(塩田朋子)、引っ込み思案で足の悪い長女ローラ(永宝千晶)、詩人になりたいという野望を抱いているが倉庫で働いて家族を養っているトム(亀田佳明)は3人でつつましく暮らしていた。アマンダはローラをなんとか結婚させようと、トムに職場の友人を招待させる。トムは友人のジム(池田倫太朗)を招待し、アマンダは腕によりをかけてもてなそうとするが…

 

 セットはオーソドックスな戦前のアメリカの家庭の部屋だが、暖炉の上にあるはずの父親の肖像写真がかなり大きく、かつぼんやりしてあんまり顔が分からないような感じで、目立つよう空中に下げてある。舞台前側がポーチ、右側が出入り口の非常階段という設定である。衣装などもだいたい時代設定にあったものである。アマンダが最後にお客をもてなすために着て出てくるやたら派手な黄色いドレスはあまりにも場違いでけっこう笑った。

 

 とにかくいたたまれない内容の話である。全体的に、出てくる登場人物はみんなけっこうムカつく…というか、問題のある人たちだ。アマンダは南部美人だった昔の贅沢な暮らしを忘れられない極めて身勝手な母親だ。ローラはこの手の作品だと純粋で可哀想な女性として理想化されがちだが、あまりセンチメンタルに美化されていないところにかえって人間としての厚みがある。トムは鬱々としているし、ジムは今で言う所謂意識高い系のちょっと困った人だ。

 

 全体的に非常にストレートな奇をてらわない演出で、そこが良いとも言えるし物足りないとも言えるところだったと思うのだが、私がひとつ非常に気になったのが、トムがマジシャンのマルヴォーリオからもらったと言ってローラに見せるスカーフが虹みたいな模様をしていることだ。トムは毎日夜遅くまで出かけており、家族には映画館に行っているのだと伝えている。おそらく宵の口まではまあ言ったとおり映画をみているのかもしれないが、それにしては帰宅時間が遅すぎるので、アマンダに飲んだくれているのではとあやしまれている。これは私の解釈だが、トムはゲイで、発展場に行っているのではないかと思われる。スカーフが虹色(セクシュアルマイノリティのシンボルカラー)であるところはポイントで、たぶんこれをくれたマジシャンは情事の相手だろう。そしてトムは自分も父親と同じようになるんだと言っており、これは直接的には家を出て行くことを指しているのかもしれないが、ひょっとするとトムの父親もゲイで、だからアマンダを捨てて出て行ったのかもしれないと思う。