橋爪功七変化〜東京芸術劇場、ベン・ジョンソン作『錬金術師』(ネタバレ)

 東京芸術劇場ベン・ジョンソンの『錬金術師』を見てきた。これは1610年頃に初演されたと思われる芝居で、ジョンソンお得意のロンドンを舞台にした痛烈な諷刺モノである。日本ではそもそもジョンソンがかかること自体が珍しく、野心的な試みだと思う。

 舞台は疫病で貴族たちがほとんど田舎に引きこもってしまったため、身分の高い連中がいなくなってしまったロンドン。主人ラヴウィットに留守番をまかされた執事ジェレミーは詐欺師のサトルと娼婦(どっちかというと色気詐欺、アカサギ師というべきか)のドルを仲間に引き込み、あやしい秘薬やおまじないでいろいろな人間をだまくらかす錬金術詐欺を始める。女好きの貴族、狂信的な聖職者、現世利益をねらうばくち打ちや商人、田舎者などのカモをあの手この手で騙して大もうけをするが、最後は急に帰ってきたご主人のラヴウィットにバレて終わり。

 基本的にはすごく面白くてお腹の皮がよじれるほど笑った良いプロダクションだったのだが、いいと思った部分は後にしてとりあえず最初に疑問に思ったところを書いておこうと思う。舞台装置は抽象表現主義ふうの絵の具をぶちまけたような壁で、衣装は現代風だし、台詞なんかも少しモダナイズしてある。こういうモダナイズはいいと思うのだが、途中のおっぱいについての科学談義はなくてもよかったんじゃないかなぁ…ジョンソン特有の科学ネタなんかをモダナイズするのに苦労したのはわかるし、おもしろおかしいことは確かだけど、もともとかなり早いペースで進む話があの部分のせいでたるんでる気がするのでカットしてもよかったんじゃないだろうか。おっぱいがどうしてたるむか、っていう話だったんだけど、そのせいで芝居がたるんでは元も子もない。

 またまた枠の使用にはかなり疑問がある。最初と最後に、ドル(朴璐美)によるインダクションとエピローグが付加されて枠のような働きをしているのだが、最初の部分の口上(ここにコピーが)は蛇足だと思うし(実際に芝居を見ればこれが実に気の利いた作品だっていうことはすぐわかるだろうよ)、最後のドルが一人一人の俳優の動きを人形を止めるように封じていくシークエンスも、ジョンソンの芝居をよく見ていれば出てくる人物がまるで機械のように描かれているっていうことはすぐわかる気がするので、こういう機械的な要素を強調したエンディングはくどい気がする。朴璐美の演技は生き生きしていて、元の戯曲のままだと薄っぺらい女の子になってもおかしくないところをうまいぐあいに狡猾でセクシーな女詐欺師に仕立てていたので、このちょっとしつこい枠の使い方は残念だった。

 しかしながらそれ以外は文句のつけようもなく面白かった。役者の演技は皆とても良くて息も合っている。とくに橋爪功演じるジェレミーが、カモの特徴に応じて軍人やら錬金術師の助手やらの役割を自在に演じ分ける様子が非常に愉快で、とくに最後、エピローグのあたりで、化粧も衣装も何ひとつ替えずに一瞬でエネルギッシュな詐欺師から老執事に変身するあたりの演技は至芸というべき。以前、エイドリアン・レスターが『レッド・ヴェルヴェット』でアイラ・オルドリッジを演じた時、場面が変わるだけで若者から引退間近の老優に変わるというのを見たことがあってあれは本当に驚いたが、舞台の上で何の助けもなく老いることができる役者って本当に実力があると思う。そういえば『ダウントン・アビー』の執事カーソンは元役者だし、『ジャンゴ 繋がれざる者』のサミュエル・L・ジャクソンの役柄なんかも「使用人は基本的に演技をしている」という考えに基づいてるし、この『錬金術師』もそうだし、最近「人に仕えるとは演技すること」ってテーマが流行りなのだろうか。なんかそこはかとなくネオリベの時代っぽいテーマな気がするが…

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