「良心をつかむ、それには芝居だ」〜『アクト・オブ・キリング』

 新宿シネマカリテで『アクト・オブ・キリング』を見た。

 既に非常に話題になっているのでとくにもう書くことはないのではないかと思うのだが、まあヘヴィなドキュメンタリー映画だった…(というかヘヴィすぎていろいろ言語化できない)。インドネシアで1965-66年に発生した共産主義者の大虐殺事件について、現在では英雄とされている殺戮した側の人たちを集めて虐殺の再現映像を撮ってもらうというものである。自分たちの残虐行為を嬉々として語り、再現する人々の姿がちょっとシュールで可笑しくすらあり、とはいえその残虐行為はあまりにも酷いもので恐ろしくもあり、見ていて非常に複雑な気分になる映画だった。

 ちょっと意外だったのは、「殺戮者たちが全然後悔しないで殺戮を正当化する」ような話だと思って見に行ったんだけど、主人公である老人アンワル・コンゴはけっこう最初から殺戮のせいで悪夢を見るなど精神的に問題を抱えているというところである。この映画は、もともとちょっと「自分がしたことは残酷だったのではないか」というかすかな疑いを持ってたアンワルが、どんどん映画撮影によって自分の罪を認識し、追い詰められていってしまう過程を克明に撮っている。

 これを見て驚いたのは、アンワルが罪を認識する過程というのがまるでハムレットの台詞のようだというところである。『ハムレット』で、ハムレットが叔父の殺人を暴くため、似たような経緯の殺人を扱った劇中劇を使おうと考え、'the play's the thing / Wherein I'll catch the conscience of the king'「王の良心をつかむ、それには芝居だ」と言うところがある。この映画は芝居を見せるどころか、実際に殺人者に演じさせることで「良心をつかむ」という過程を見せているわけであって、演技をする、フリをするということは実はすごいことなんだなぁ…と単純に驚きながら見てしまった。とはいえ演技によっても全く後悔しない、まあハムレットの叔父クローディアス風に言えば祈るために曲げる膝もないような人もこの映画に出演しているわけでもあって、そこがまた恐ろしいところでもあるが…

 しかしながら演技の凄さという点でちょっと気になったのは、あの虐殺場面でエキストラとして出演した人たち、とくに子どもたちの精神状態は大丈夫なのかというところである。かなりリアルな絵を撮っており、撮影後に放心状態になったり泣き叫んだりしていた人もいたのだが、あんなふうにいろんなところから無作為に集めてきた人たちにあんなヘヴィな芝居をさせて一体、精神状態は大丈夫だったんだろうか。とくに子どもたちが悪夢に見舞われたりしないかどうかが心配なのだが、監督はそのへん配慮したのかね?