性的ステレオタイプを吹っ飛ばすセクシーサーカスショー~『ルージュ』

 サウスバンクで毎年夏に行われているアンダーベリーのテントショーで『ルージュ』を見てきた。大人向けのキャバレー&サーカスショーである。

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 6人のメンバーでアクロバットバーレスク、オペラの歌などを組み合わせたショーをするというものなのだが、コンセプトは性的ステレオタイプの打破、多様なセクシュアリティの祝祭である。男女の恋をロマンティックに描いたショーがあるかと思えば、BDSMや男性同士がぶつかりあうゲイバーレスク風なショー、全員が入り乱れて乱交を思わせるダンスをするパンセクシュアル&ポリアモリー礼賛ショーなどがあり、かなり大人向けだ。どれもエアリアルシルクなど難度の高いアクロバットや、フラフープダンス、歌、コメディなどをきちんと組み込んで、見ているだけで楽しい演目に仕上げており、感心した。『マジック・マイク・ライヴ』よりはこういうののほうが圧倒的に私の好みなので、是非また見たい。

 

 ただ、このショーで生まれて初めてファイアダンスの失敗を見てちょっとびびった。ファイアダンスでダンサーが松明を落としてしまい、あやうく床が燃えそうになった。マットが難燃性素材で良かった…

コンセプトと商機~『マジック・マイク・ライヴ』

 ヒッポドローム・カジノで『マジック・マイク・ライヴ』を見てきた。『マジック・マイク』のチャニング・テイタムがプロデュースしているショーで、まずはラスヴェガスで初演し、それをロンドンに持ってきたものである。チャニング・テイタム自身が出るわけではなく、声だけの出演だ。

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 最初はやたらとFワードを連発する男性ホストが客席の女性ソフィを舞台にあげてストリッパーに客いじりをさせようとするのだが、このソフィは押しつけがましく提供されるショーやサービスがイヤで反旗を翻し、ショーをのっとってしまう。実はソフィが本当の司会で、性差別主義者の古くさい司会は追っ払って女性たちで楽しみましょう、みたいなトークをした後、ソフィが夢見るいろんなステキな男性たちが登場し、ダンスやアクロバットをする。この冒頭部分は、エロティックなものに限らず女性向けのコンテンツがかなり男性の思いこみで作られていたことを諷刺する機能を果たしている。

 

 いわゆるバーレスク的なティーズ(じらしながら脱衣する)はほんのちょっとで、どっちかというと露出度の高いダンスという感じである(ただし全部は脱がないのがほとんど)。身体的な接触を伴うようなダンスが多く、客いじりがものすごく激しい。お客さんを舞台にあげて接触しながら踊ったり、客席のラップダンスもある。ただし、お客さんが楽しくないとダメというのが重視されており、少しでも居心地悪くなった時にはストップワード(「ユニコーン」)を言うように、というアナウンスが最初にある。

 

 ダンスは皆かなり上手で、とくに下にお客さんを寝かせてその上でエアリアルシルクのショーをするという演目はちょっと凄いなと思った。ダンサーの人種やタイプはいろいろだが、わりと筋骨隆々系が多い(これはダンスの演目がどれもアクロバティックなものなのでしょうがないのかも)。どのダンサーもかなりお客さんの警戒を解かせるのが上手だ。カジノのステージなのでそんなに大きくはないが、奈落とか吊り物などエンタテイメントを上演する設備としてはけっこう充実している。

 

 異性愛者女性に自分の性欲を安心して表現できる楽しい場所を提供しようというコンセプトは極めてはっきりしている一方、何をすればお客さんの性的ファンタジーをくすぐることができるかというのを極めて的確にとらえており、その点では芸術的コンセプトと商機を読む明敏さがはっきり合致したショーである。そしてこの芸術的コンセプトは大変良いと思うのだが、私がちょっと引いてしまうのは「商機」をあまりにもしっかり読んでいること、つまりプロダクションじたいがすごく商業的で、全体がお金儲けのためのエロスだということである。別にエロティックな芸術でお金儲けをして悪いことはないのだが、私は商業化されたエロスがどうもそんなに好きでは無い。私がバーレスクが好きなのは、産業として大きくなってきても皆けっこうDIYで、建前だけだとしても企業よりはひとりのアーティスト(あるいはグループ)がお客さんと向き合う形をとっているからだ。『マジック・マイク・ライヴ』には、私がワクワクするそういう要素はあまりない。

 

 とはいえ、全部ひとりでやっているわけではないと言っても、自分のストリッパー時代の経験からマジック・マイクフランチャイズを作り上げたチャニング・テイタムはちゃんとした芸術的ヴィジョンがあるし、たいした興行師だなと思う。ラスヴェガスの後ロンドン、年末ではベルリンでもこのショーが始まるらしい。ショーが続く限りテイタムと初作の監督をつとめたソダーバーグにはロイヤルティ収入があるわけで、つまりしばらくはお金に困らず好きな映画を作り続けることができるかもしれない。プロダクション側は出演しているダンサーにも気前よく給料を払って、成功の足がかりになるよう支援してほしいものだ。

私は全く好みではなかった~オープンエア劇場『エビータ』

 リージェンツパークの夏の風物詩、オープンエア劇場でジェイミー・ロイド演出の『エビータ』を見てきた。

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 野外上演ということで、屋根のあるウェストエンドの大きな劇場で上演されるミュージカルとは全く違う演出を採用している。階段状になった舞台にはほぼ装置がなく、主な小道具としては風船が権力や夢の儚さ、エビータが大人になってもまだ残している子供っぽさの象徴として使われている。衣装も極めてシンプルで、エビータは最後の死の場面でやっと定番の華やかなドレスを舞台上で着るのだが、それまではずっとスリップみたいなシンプルなワンピースやツーピースしか着用しない。

 

 非常にシンプルな舞台装置や衣装を用い、ちょっと引いた感じにすることでポピュリズムの政治劇を見せようとする演出なのだと思うのだが(前に見た『エビータ』はあまりポピュリズム劇らしくなかったのだが、このプロダクションはポピュリズムの政治劇である)、正直私は全然、好きになれなかった。というのも、ものすごい量の煙と紙吹雪と閃光を使用していて、舞台があんまりよく見えないからだ。夜間の野外上演でせっかくシンプルな舞台を使うんだから、舞台を隅々まではっきり見えるように提示したほうがいいと思うのだが、このプロダクションの演出は芝居というよりは野外レイヴみたいで、お客に舞台上のものや人をじっくり見せようという意識が無いように思える。

 

 また、あまりにも一歩引いた演出にしているせいで、エビータ(サマンサ・ポーリー)に奥行きがないと思った。このレビューでエビータが「高校の『イヤな女』」みたいだと言われているが、まさにその通りで、若い女性が叫んだり泣いたりしているだけでそれ以外の感情のレンジがあまりなく、成熟した深みがない。この作品はエビータを欠点を山ほどかかえてはいるが非常に複雑な政治的人物として提示しないとミソジニー的になり得ると思うので、イヤな女にするにしても成熟とか複雑さが必要で、子どもっぽい高校の女王様みたいなキャラクターではダメではないかと思う。

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超カラフルで客いじりも激しい上演~グローブ座『夏の夜の夢』

 グローブ座でショーン・ホームズ演出『夏の夜の夢』を見てきた。

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 今年グローブ座で見た他の上演同様、ジェンダーや人種は固定しないキャスティングである。ボトムが女優で(Jocelyn Jee Esien、ただし男という設定)、ヒポリタ/ティターニアとシーシアス/オーベロンを同じ役者が演じるのや、ヒポリタが箱に入れられて虐待された捕虜として出てくるのはブリッジ座の『夏の夜の夢』と似たような演出で、最近そういうのが流行っているのかもしれない(2016年のテレビ版でもヒポリタが完全に戦争捕虜だった)。シーシアスはいかにもいけ好かない君主なのだが、最後に2組の恋人達はもちろん、ヒポリタとボトムがデキてしまって祝宴のドタバタでシーシアスそっちのけでイチャついているという演出があり、最後にこの抑圧的な君主シーシアスが恋の歓びから取り残されて終わる感じになっている。

 

 全体にとてもカラフルな演出で、虹のような多色の派手な色合いの房を天上から垂らして森を表現している。ロバに変えられたボトムは全身、この華やかな色のシャラシャラした毛が生えたサイケデリックモンスターロバになってしまう(やたら派手なピニャータが動いているみたいに見える)。ティターニアのベッドが大きな公共用ゴミ箱を転用したような容器になっていることもあり、どっちかというとこのプロダクションのアテネの森は自然の場所というよりはプライドパレードかノッティングヒルカーニヴァルを開催しているロンドンの通りみたいである。生演奏の音楽もブルースやポップス風の華やかなものだ。パックはひとりではなく、いろんな役者がとっかえひっかえパックTシャツを着て出てきて、パックがひとつの場所やひとつの姿におさまらない存在であることを示している。

 

 わりと客いじりも激しく、お客のひとりを舞台にあげてスターヴリングを演じさせるということをやっている。お客がけっこう上手で、仕込みかと思うくらいだった。ちなみに暦を見る場面で客席からスマホを借りてみんなでセルフィを撮るというのをやっていたのだが、これはブリッジ座でもやっており、こちらも今流行っている演出なのかもしれない。

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とても面白かったが、手話を導入する場合の劇場の構造について考えさせられた~グローブ座『お気に召すまま』

 グローブ座でフェデリー・ホームズとエル・ホワイト演出の『お気に召すまま』を見てきた。2018年の上演の再演である。

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 シンプルなセットとやや現代風な衣装を使った上演だが、ポイントはキャスティングである。クロスジェンダーキャスティングで、ロザリンドはかなり背の高い男優(ジャック・ラスキー)、オーランドは小柄な女優(ベトリス・ジョーンズ)が演じている。この身長差キャスティングのせいで、レスリングの試合の場面では、挑戦者のオーランドがあまりにも小さいのでロザリンドがかなり深刻に心配しており、気の毒に思っているうちに逆転でオーランドが勝ったためロザリンドがすっかり心を奪われて…というのがよくわかる。大きくて一見しっかりした感じのロザリンドが恋でそわそわしているあたりのギャップも大変可愛らしい。好き嫌いが分かれそうだが、笑いのツボをおさえた祝祭的な雰囲気の上演で、私は大変気に行った。

 このプロダクションではBSL(イギリス手話)を使う役者が2人出演している。シーリアはナディア・ナダラジャが演じているが、この女優さんは2012年にグローブで前編イギリス手話により上演された『恋の骨折り損』にも出演していて、実力のある女優である。さらにジェイクイズは女性で手話と音声の台詞を両方使うソフィ・ストーンが演じている。手話には字幕がつかず、ロザリンドは手話を全部理解している設定で自分でもシーリアと話す時は手話を使ったり、通訳したりする。ナダラジャはかなり活動的なシーリア、ジェイクイズは相変わらずの憂鬱男で演技はとても良かったのだが、ちょっと気付いたのは、グローブ座は場所によっては手話の会話が全然見えないということだ。柱の陰に入るといろんなものが見えなくなるというのはグローブ座の特徴のひとつで、それを使った演出も存在するのだが(たとえば『終わりよければすべてよし』でラフューがヘレナと貴族たちの求婚についてあまり状況を把握してないみたいな台詞を言うのは、柱の陰からチラチラ見ていてよくわからないという演出なのではとも言われている)、今回私が座った席は柱が目の前にある席で(けっこう混んでた)、ジェイクイズやシーリアが柱の陰に入ってしまうと話しているのかどうかもわからないのである。以前に『恋の骨折り損』を見た時は視界を遮るもののない席だったのでよくわからなかったのだが、この柱がある舞台だと手話が見づらくなるというのは一種の劇場構造の音響上の問題と言えるかもしれない。そのへんについて研究とかあったりするのだろうか。

20年代の建物で行われる楽しいバーレスクイベント~House of Burlesque Summer Speakeasy @Grace Hall

 グレイス・ホールでHouse of Burlesque Summer Speakeasyを見てきた。テンペスト・ローズが率いるハウス・オブ・バーレスクが主催しており、週末に開催される「スピークイージー」(禁酒法時代のもぐり酒場)風イベントである。会場のグレイス・ホールは1920年代に建てられた建物で、そこで禁酒法風イベントというのはとても雰囲気がある。

 

 残念なことに今回はテンペスト・ローズは出ていなかったのだが、ショーはどれも重しと勝った。毎年アンダーベリーのハウス・オブ・バーレスクイベントに出ているロロ・ブロウが、リアーナの"S&M"にあわせて鼻に釘をつっこんだり鼻からコンドームを入れて口から出したりするSM風のショーをやっており、見ているぶんにはすごいインパクトだが絶対覚えたくない芸だなと思った。ロロ・ブロウは後半でもう一度登場して、DJがiPhoneでランダム再生する曲にあわせて脱ぐという即興ショーもやっており、これも良かった。その他にはボーイレスクのThrobertoがなかなか面白く、最初はエアロスミスの"Dude (Looks Like a Lady)"を使ったミセス・ダウトドラァグバーレスク、後半が闘牛士のセクシーなショーで、幅の広いパフォーマーだなと思った。

 

ヘンリー八世の6人の妻達がガールズグループになるミュージカル、Six (ネタバレあり)

 アーツ劇場でSixを見てきた。ヘンリー八世の6人の妻達、つまりキャサリン・オブ・アラゴンアン・ブーリンジェーン・シーモア、アン・オブ・クレーブズ、キャサリン・ハワード、キャサリン・パーがガールズグループに扮してリードヴォーカルの座を競いあうというものである。お芝居というよりはアイドルのライヴみたいな感じで、かなり客いじりもある。舞台に出ているのは6人の王妃たちをはじめとしてバンドも全員女性である。

www.sixthemusical.com

 誰が一番苦労したかでトップの座が決まるので、ひとりひとりヘンリーと暮らした時の愛憎とか、自分の歴史的重要性とか、いろいろなポイントを歌でアピールする。キラキラの衣装に身を包んだひとりひとりかなり個性が違うガールズグループということではちょっとスパイスガールズっぽいし、アイドルオーディション番組みたいでもある。役者の人種はいろいろで、ファッションや歌唱スタイルでキャラ付けがある。最初は6人でライバル意識が剥き出しなのだが、終盤になるにつれて王妃たちはこんなことをしてていいんだろうか…と思い始める。一番最後の王妃であるキャサリン・パーがヘンリーの愛なんか要らないという歌を歌い、男性との関係で自分を規定するよりもひとりひとりの人間としての自らを認めるべきなんじゃないかと提案する。6人の王妃たちは女性同士、競い合うのではなく友として一緒に歌うことにし、ヘンリー八世の呪縛から解放される。

 

 歴史上の話としては有名だが、スキャンダラスに語られがちなヘンリー八世の王妃たちをフェミニズムの視点から捉え直した作品であり、女性同士で男をめぐって競い合うのではなく、自分自身を大事にして女同士で連帯することを楽しく祝福している。スパイスガールズ風のガールパワーというのはかなり商業化されて手垢のついたものになってしまったが、ここにきてこんなにちゃんとガールパワー的な要素を知的かつとてもとっつきやすい形で消化した歴史ものの舞台が作られるとはなかなか意外で、新鮮だ。ちょっと歴史的事実に基づいていないところもあり、たとえばアン・オブ・クレーブズはソウルフルな歌の見せ場がある良いキャラなのだが、私が大学院の古文書クラスで読んだ史料などからすると、アン・オブ・クレーブズはこの舞台に出てくるみたいなキレのある感じじゃなくておっとりした田舎のお嬢さんだったと思われるので(だから学のある洗練された女が趣味だったヘンリーと最初からうまくいかなかった)、それはまあ芸術だからいいとしよう。客席は満員で、グッズとして売られているTシャツを小さな女の子たちが買って帰っていたが、女の子が子どものうちからこういう舞台に触れられるのは本当に良いことだと思う。