科学技術の夢と、それに誠実な芸術〜『天才スピヴェット』

 ジャン=ピエール・ジュネ監督の新作『天才スピヴェット』を見てきた。

 主人公は10歳の神童で、日々科学実験を行い、発明をしているT・S・スピヴェット。昆虫学者の母クレア博士(ヘレナ・ボナム=カーター)、カウボーイの父テカムセ(カラム・キース・レニー)、スター志望の姉グレイシー(ニーアム・ウィルソン)とモンタナのド田舎の牧場で暮らしているが、一家は最近、TSのふたごの弟レイトンを事故で亡くしたばかりで半壊状態。弟の死に責任を感じているTSは、スミソニアンが出している発明賞を受賞したことをきっかけにワシントンDCへ一人で旅に出かけることに…

 TSの溢れる想像力の世界を3Dを用いて描くという美術方針は成功しており、現実にあるモノは平面っぽいのにTSの頭の中で展開しているものは派手に3Dで飛び出てきたり、3Dを上手に使っているという点ではかなり野心的な作品だ。前作の『ミックマック』はイマイチな気がしたのだが、『天才スピヴェット』は『ミックマック』よりも映像の点で独創的なことを試している感じで、見ていて面白い。

 一方で話のほうも、少年とその家族の心の回復を軸に、科学技術に対する夢をふんだんに盛り込みながら諷刺も忘れない作品になっている。思ったよりもけっこう諷刺が強烈で、まだ10歳なのに誠実な科学者であるスピヴェットが、「永久機関を発明!」みたいに大々的に報道されている中で「磁気の関係で400年したらとまるので、これは正確には永久機関じゃない」とか「コストの関係で今ならこれよりも電気代をふつうに払ったほうが採算とれるだろう」というような発言をして報道陣やスミソニアンのPR担当者(ジュディ・デイヴィススミソニアン次長のジブセン役で出演)に微妙な顔をさせるあたり、ニセ科学に飛びついたり、華々しくすることだけに興味があってあまり正確性に興味がなかったりするような科学報道や、補助金や寄付金集めのために血眼になっているアメリカの科学界の動向を辛辣に描いていると思う。子どもが主人公で夢にあふれた映画なのに、こういう「科学技術の誠実さ」について諷刺を盛り込んでくるあたり、製作陣のひねくれたユーモアを感じる。

 またまたもうひとつ細かいところだが注目すべきだと思ったのは、スピヴェットの母であるクレア博士が、かなり変人の昆虫学者でおそらくフェミニストであるのだが、非常に人間味のある母親かつ科学者として描かれているところである。虫を飼って標本にしているわりには一切家事ができないステレオタイプな科学者なのだが、家事が下手クソなのを家族はあまり気にしてないようで(四六時中トースターをぶっ壊しているが皆慣れてるようだ)、子どもを失った後に「母としても科学者としても」活力を失ったことに焦点があてられている(息子のスピヴェット視点なので、母としてというのが重大なところではあるのだが)。最後のミスコン批判のオチの付け方はちょっと機能してないかなぁとも思ったが、まあグレイシーの態度を考えるとああいうふうにするしかなかったのかも。いずれにせよ、疑問点がないというわけではないが、ネガティヴではなく女性の科学者を描くという点ではかなりよく考えた作品だと思う。これとのつながりで面白いのは、スピヴェットが初めてスミソニアンの建物に入った時、想像で思い浮かべるものの中に実験をしている女性科学者らしい人が含まれていることである(一瞬で見づらかったのだが、たしかそうだった)。スピヴェットは母が科学者であるので、科学者=男性という発想ではない。スピヴェットが10歳の神童であるというも含めて、このあたりは「科学技術は子どもや女性も含めてみんなの夢である」というメッセージが含まれているのではないかと思う。

 全体的に、科学技術の夢に対して芸術が誠実に対応しようとしている映画だという印象を受けた。科学の正確さや皆の夢としての科学技術、というヴィジョンの提示もそうだし、人間の想像力を3Dという新しい技術で表すという映画的コンセプトもこれにぴったり沿っている。科学技術に夢を見たことがある人にはオススメの映画だ。