来学期から東京大学非常勤を辞めることになりました

 今年で東大駒場の非常勤講師を辞め、1年間実施した英日翻訳ウィキペディアン養成セミナーは来年から本務校の武蔵大学に移すことになったのですが、この辞職とクラス移動の経緯について皆さん興味があるらしいので、学生に迷惑がかかるなどの差し支えが無い範囲で簡単に説明しようと思います。めちゃめちゃ長いので、イントロのあと3つの節に分かれています。

・イントロ

 まず、私は2013年に留学を終えて日本に帰ってきてからずっと東大駒場で英語の非常勤をしており、最初の二年は英語一列、今年は実験的な科目としてウィキペディアン養成セミナーをやっていました。学部から博士の一年まで東大駒場に所属していたので、英語一列には院生の時からTAとして関わっていました。去年からは武蔵大学に専任講師として就職したので非常勤先は辞めても良かったのですが、図書館とデータベースが使えること(これは研究者にとっては大変大事で、給料なんかより何倍も問題です)、やる気のある学生を教えることができることという二点のポイントがあったので、週1コマだけですが続けていました。

 まず、去年の6月末に、来年度(つまり今年度)からクォーター制を導入し、給与体系も変わるという連絡がきました。しかしながらこの時、カリキュラム改訂に伴って実験的な科目をやってもよいというお達しが英語部会から出てきたので、私は本務校ではカリキュラムの都合(今年はこの手のプロジェクト系クラスをやれる科目の割り当てが無かった)で実施できなかった、ウィキペディアの英語記事を翻訳して日本語記事としてアップする授業を東大でやらせてもらうことにしました。


1. 給与と労働量

 そこで今年からクォーター制になったわけですが、まあとにかく労働量が一気に増えました。基本的にターム科目(年に4学期)は夏だと4月と5月(6/1くらいまで)で1学期に7回授業、6月から7月末までで1学期に7回授業、秋は9月半ばから10月末までで1学期に7回授業、11月から12月末までで1学期に7回授業ということになっており、1月から3月までは授業がありません。セメスター科目(年に2学期)というのもあるのですが、これはターム2学期でセメスター1学期分となります(ただし授業回数は標準13回)。去年までは1コマ90分だったのですが、今年からは1コマ105分になりました。

 夏はターム科目を担当したのですが、これはむちゃくちゃ忙しくて大変です。私の場合、90分から105分にコマがのびるのにあたって給与額は1コマ10100円から1コマ12000円に増えたので最初は授業時間がのびただけ順当に給料が増えたように思っていたのですが、大きな間違いでした(なお、東大は時給制なので、出勤しない夏休みとか冬休みは給与が出ませんし、休講にするとそのぶん給与は減ります)。ふつうの科目なら期末テスト(+短めの中間テストや課題などがあることもありますが)を半年に1回実施すればいいのですが、ターム科目だと単純にセメスターをやっている間に2回、期末テスト(私の場合は期末にアップする新規記事)を採点しないといけないので、採点の労働量が2倍になります。語学科目だと採点が一番大変なのですが基本的に採点料は出ないので(1コマあたりの価格に予習・復習・採点の価格が入ってる計算)、ターム科目を担当すると仕事がものすごく増えたのにたいして給与はあんまり増えてないということになります。この他にシラバス作りの労働量も倍になるので、労働時間の伸びを考えると額面が増えても実質減給だと思います。

 あと、これは私の特殊事情ですが、ウィキペディアの翻訳記事は学生が作ったものにざっと目を通すだけで1記事1時間くらいかかり、さらにやる気があって長い記事を作った学生のものだともっと時間がかかることもあり、35人のクラスでは新規記事アップロード前のチェックで週40時間くらい授業時間外に家で働いてました。この他に最後の採点とか、学生が起こした技術的なトラブルのヘルプとかもあります。これを半年で2学期やったので、はっきり言って死にそうになりました。このため「実習系の語学クラスで30人を超える授業人数は多いのではないか」ということを部会に申し入れたのですが、これは聞き入れては頂けませんでした。

 ただ、秋学期は曜限を1限にしてセメスター科目に変えてもらったので死亡は回避できました。ターム科目だと本当に給料減った感がすごかったのですが、秋学期はゆっくり学生と一緒に記事を作成し、早くできた人から一番遅くできた人まで3週間くらいかけて(それでも40時間くらい時間外労働が必要なわけですが)記事をチェックすればいいのでわりとお給料に見合った感じで働くことができ、このまんまならぶっ倒れずに続けられるかもと思いました(ところで、タームを年4回担当した先生方は労働量大丈夫なんでしょうか?1学期休めるとかならともかく、あの労働量を1年やったらかなりいい加減にやらないと死ぬのでは?)。

 なお、私は少なくとも見かけの給与額は増えましたが、去年教務課からもらったプリントによると人によっては見かけの給与も減った人もいたようです。私の給与が増えたのはたぶん勤続年数が増えたことに関係があり、ベテランの先生はもっと給与が減った人がいるのではと思いますが、このへんはよくわかりません。

 しかしながら、上にも書きましたが、専任があるのに非常勤講師をする場合、多くはお金のためにやっているわけではありません(私は専任講師なんで食べていける給与はもらっています)。いろいろ理由はありますが、最も重要なのは図書館とデータベースへのアクセスで、小さい大学につとめている研究者は本務校の図書館規模が小さく、アクセスできるデータベースの数も少なくなるので、大きい大学で非常勤をすることにより専門的なデータベースを使ったり図書館で本を借りたりできるということが給与よりはるかに大事なポイントになります。そういうものがないと研究ができないからです。ということで、私はいくら給料が少なくなっても、データベースや図書館が使えるかぎりは東大で非常勤をするつもりでした。


2. データベースへの学外アクセス停止、そして身分の問題
 昨年度までは、東大の非常勤講師は専用アカウントを取得すれば大学の外からも自由に学術データベースを使うことができました。ところが、今年から突然、東大の非常勤講師が学外から東大の契約データベースにアクセスすることが不可になりました。これについては私が図書館や人事などいろいろなところに問い合わせたのですが、いっこうに解決はしませんでした。私が至らないところもあり、アカウントの位置づけについて勘違いしたり取り乱したりしてかえって情報教育関係の部署の方々に迷惑をかけてしまったところもあったのでそこは反省しているのですが、基本的にわかったことは以下のとおりです。

東京大学の非常勤講師は東大と雇用契約が無く、「教職員」ではないので、データベースに学外からアクセスできる「教職員」の対象から外れる。
・去年までアクセスできていたのは契約違反であり、非常勤講師が勝手にアクセスしていたという扱いになる。

 これについて、まず東大が「教職員」でない人に学生を教えさせていたというのにびっくりしました。また、雇用契約が無く、委託とかの扱いであるなら授業内容を細かく指定したり、必ず13回出勤しろと言ったりするのはできないのではないか(つまり、最初と最後だけ出勤してあとは毎週課題をメールでやりとりし、それで学生の英語力が向上するなら言われた業務をこなしていることになるんじゃないですか?とか)、と聞いてみたのですが、人事のほうは「13回出勤してください」「教職員ではないが、非常勤講師も教員と考えている」などとよくわからない答えを返してくるばかりで、労働関係法規についての知識がないと太刀打ちできませんでした。

→この点については、以前から加入している非常勤講師組合に相談し、法的な助言をもらって戦うつもりでいました。私としてはデータベースに学外からアクセスできないとはっきり言って授業に支障を来すので(ウィキペディアの授業では学術データベースなどのレファレンスツールの使いこなしを奨励しています)、教職員の身分になれなくてもデータベースだけでもどうにかしてもらえるよう交渉したいと思っていました。また、驚いたことにアメリカにあるウィキメディア財団の人たちがこのプロジェクトに興味を持ってこの件について東大に手紙を出すことを検討してくれたりしはじめたので、いろいろ粘り強くやてみるつもりでした。

 なお、これは直接データベースとは関係無いのですが、クォーター制での授業時間延長に伴い、1限の開始時間が8時半になったのに情報ヘルプデスクは9時まで開かないので、1限の時間にPCが立ち上がらなくなったりしたら9時まで授業ができないということになります。あと、東大にはutroamっていう大学wi-fiがあるのですが、これについてわからないところを問い合わせたら「本郷の誰かがボランティアでやってるので窓口が無い」みたいな回答が来て、いくらなんでもそんなわけねーだろと思ったのですがどうなんでしょう…本当だったらとんでもないと思うんですが。とりあえず、技術的な側面からの授業支援はとにかくお粗末です。


3.取材禁止
 ここまではけっこう私も東大と交渉する気がけっこうあったのですが、最後にきたのが取材禁止です。今年の10/12月に国立情報学研究所で行われたウィキメディア財団関係ミーティングで私がやっている授業プロジェクトをご紹介頂いたため、授業について取材依頼が来ました。取材がくるとなると当然、学生のやる気に良い影響が及ぼされるので、是非来て頂きたいと思いました。学生には全員にきいて許可をとりました。
 ところが、東大当局に問い合わせたところ、取材は全て禁止しているというのです。理由は「授業の邪魔になるから」ということでした。しかしながら私の知るかぎりでは少なくとも2013年12月3日読売新聞夕刊に「NNNドキュメントで授業」というタイトルの記事と一緒に学生の授業風景写真が載っており、これについて「授業風景の写真らしいものが掲載されているが」と尋ねたら「それはきっと授業風景ではなく何かの再現などだろう」というような返事が返ってきて、じゃあ東大は読売に講義の写真と称して講義の写真じゃないものを提供したのだろうか…とかいろいろ頭の中が疑問だらけになりました。また、「私はそちらと雇用契約が無いし、教職員でもないので、東大は私が取材を受けるかどうかを指示できる立場にないのではないか」と聞いてみましたが、「取材は受けないでください」の一点張りでした。学生による社会貢献が評価されることとか、学生のやる気が引き出せることとか、そういったことによる良い影響には一切、無関心のようでした。



・結論
 このあたりまでは私も戦うつもりがあったのですが、ここに来てもう決心がつきました。東京大学は非常勤講師と雇用契約を結んでいないにもかかわらず授業内容とか取材を受けるかとかについてだけは厳しく指示をするつもりで、一方で非常勤講師が研究・授業用に学外からデータベースを使えるようにするとか、クラスサイズを小さくするとか、そういう教育環境の改善には全く関心が無いようです。最後のポイントとして、やる気のある学生と実験的な授業ができて楽しい、というのがあったのですが、さすがにここまで東大当局が授業内容とか非常勤講師の待遇に無関心だとやる気はほぼ奪われます。

 ひとつ書いておいたほうが良さそうなのは、おそらくこういうことは東大駒場の専任教員の方々はあまり知らないだろうし、おそらく責任もないだろうということです。英語部会には学生時代にお世話になった先生がたくさんいらっしゃり、授業でも研究でも困った時はアドバイスを下さったりしているので私も大変感謝しています。しかしながら東大駒場の先生方は信じられないほど多忙で、在職中におそらく過労が原因で死亡したりする方もいるので、自分の授業と委員会で手一杯で、非常勤講師の待遇とか情報技術関係のトラブルなどについては知るヒマすらないだろうと思います。こういうことが起きるのはもっとマネジメント系、組織的な問題のせいでしょう。

 私は基本的に本務校では英文学・舞台芸術・映画の教員なのでこういう情報教育っぽい授業ができるとは思っていなかったのですが、事情を話したところ本務校のほうはとてもプロジェクトに好意的だったので、この授業は武蔵に引っ越すことになりました。また、来年は慶應義塾大学で文学部の英語を通年で担当するので(去年と今年も半期ずつ変則的に担当していたのですが)、慶應の図書館やデータベース(学外アクセスあり)を使って授業や研究をすることができます。

 なお、ウィキペディアのクラスみたいなものをもし自分の大学で実施したいという先生がいらっしゃるようならなんでもアドバイスいたしますのでお気軽にお声がけくださいませ。

 あと、私の授業でウィキペディアの編集を覚えた学生の皆さん、是非これからも編集を続けてやってください。私のことや、履歴継承や削除依頼は嫌いになったとしても、どうかウィキペディアのことは嫌いにならないでください。