そこ、車売っちゃダメだ~『家族を想うとき』と男らしさ問題(ネタバレあり)

 ケン・ローチの新作『家族を想うとき』を見てきた。

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 ニューカッスルに住む主人公のリッキー(クリス・ヒッチェン)は良い仕事を見つけられず、配送ドライバーの仕事に就く。形式上は請負で仕事を受けているようになっているが、実際には雇われドライバーとして酷使されるだけで、ろくに休むこともできない。リッキーも介護士である妻のアビー(デビー・ハニーウッド)も多忙であまり子供たちと過ごす時間がとれず、やがて息子のセブ(リス・ストーン)は非行に走りはじめ…

 

 基本的には偽装請負と貧困問題がテーマの作品である。リッキーは形の上では自営業者なのだが実際は全くそうではなく、休むだけで罰金をとられるし、娘を車に乗せるとか、自由に休憩をとるとか、自営業者なら自分の判断でやっていいことがほとんどできない状況に追いやられている(おそらくこの雇用形態は違法だと思われる)。いわゆるギグ・エコノミーが単なる偽装請負であり、雇い主が責任逃れをしながら不安定な雇用で労働者を使い捨てにする言い訳にしかなっていないということを告発する作品だ。弁護士に相談すればもうちょっとなんとかなるのかもしれないが、リッキーは過労で判断力を失い始めており、ローチの前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』のダニエルと違って戦う気力が残っていない。全然状況が違うが、私も以前東大で非常勤をしていた時、偽装請負に近い状態で働かされていたらしいのだが本人は気づいていなかったので、もっとひどい状況に追い込まれて心の余裕がなく、判断力がなくなってきているリッキーが気づかないのは当然だと思う。だからこういう映画が必要になる。

 

 この映画のポイントとして、貧困について労働者に責任がないということが明確にされている一方で、リッキーの人生における個人的な選択として、「男らしさ」にこだわることが人生がメチャクチャになってしまう過程のはじまりとして描かれていることがある。リッキーの人生が狂い始めた大きなきっかけとして、妻のアビーが介護の仕事に使っていた車を売って、自分の仕事用のヴァンを買ったということがある。リスクのあるドライバーの仕事に投資するよりも、すぐ失職するようなことはまずなさそうなアビーが介護士として効率的に働けるようにサポートして、リッキーはしばらく短時間のアルバイトなどをしながら子供の面倒をみるという選択肢もじゅうぶんあり得ると思うのだが、リッキーの頭にはそういう考えが一切、ないようなのである。この時にアビーの仕事の都合よりも自分の仕事の都合を優先したことにより、バスを使わないといけなくなったアビーの労働時間は延び、リッキーは過労になって、子供たちは精神的な問題を抱えるようになる。ヴァンを買うリッキーに対してセブが"White van man"「白いヴァンの男」になるんだね、というところがあるが、これはイギリス英語で、ヴァンを使って仕事をするような独立した自営業の男性を指す言葉だ。リッキーにとって「白いヴァンの男」になることは男のプライドを保つために必要だったのかもしれないが、そのせいで状況がどんどん悪くなってしまう。イライラして息子に暴力をふるってしまったり、状況が最低になってもどうしても仕事に行かなければいけないと考えるリッキーは、相当に「男らしさ」の呪縛にとらわれてしまっている。リッキーが置かれた境遇からして、男がお金を稼いで家族を養わないといけないという観念があるのはしかたなく、また貧困と疲労でゆっくり判断する余裕がないということもしっかり描かれてはいるのだが、そうはいってもリッキーの人生の失敗の大部分は男のプライドからくるものでもあるのである。この作品は労働問題だけではなく、男性ジェンダー問題をかなり丁寧に描いた作品でもある。