生きるための哲学〜テアトル・ド・アナール『従軍中のウィトゲンシュタインが…』

 新宿のSpace雑遊でテアトル・ド・アナール『従軍中のウィトゲンシュタインが…をみてきた。本当のタイトルは異常に長い『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならないという言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』というもので、谷賢一のオリジナル戯曲だそうだ。

 第一次世界大戦中、ヨーロッパ東部戦線の塹壕で戦闘の準備をしている5人の男たちについての芝居である。この中に若き哲学者ウィトゲンシュタインがおり、ホモフォビアが蔓延する塹壕でいじめられ、死と隣り合わせの状態で生きるために哲学する。自分をいじめている男がイギリスに残してきたボーイフレンドのデイヴィッドとちょっと似ていたりすることに悩んでいるのだが、この2人の役は同じ役者が演じており、たまにウィトゲンシュタインはデイヴィッドと脳内会話をする。

 とにかく、ウィトゲンシュタインの難しい哲学は実は何よりも生きるためのものだった、という話である。明日死ぬかもしれないという状況で皆からムダと思われているような言語の哲学について考えているウィトゲンシュタインにとっては、哲学こそが残虐な戦場で人間を人間たらしめているものなのだ。そしてウィトゲンシュタインの同僚たちもしょっちゅう戦場で神のこととか信仰のことを考えており、ウィトゲンシュタインが考えている哲学と、それをバカにしている他の連中の悩みは、おそらく誰も意識してはいないのだがそう遠くはないのかもしれない。信仰とか倫理、理性といった問題系において、ウィトゲンシュタインの考えている難しい哲学と、戦友たちのぐじぐじした悩みは関係がある。

 全体的に、劇作家も役者もウィトゲンシュタインの哲学をかなりちゃんと押さえてやっているようだ。この手の科学とか哲学を扱った芝居は失敗すると目も当てられないようなことになりかねないのだが、素人目にも非常にちゃんと哲学に向き合っていると思えたし、単純にとても面白かった。また、今回は駒場科学史科哲組と観劇して解説もしてもらったのだが、哲学を研究している人たちとしても、少々単純化はあるが十分、太鼓判を押せる内容だったらしい。戦況を説明するためソーセージやパンを使って陣地の地図を書くところでウィトゲンシュタインが言葉とモノの関係について思いをめぐらせるところは面白かった(かなり脚色してあるが、地図がヒントというのは実話に基づいているそうだ)。個人的に一番関心したのは、戦場の暗闇の中でウィトゲンシュタインと戦友たちが言葉だけでコミュニケ−ションしようとするところで、ここは「暗闇でも働く言葉の強力な力」というウィトゲンシュタインの考えている哲学的問題を明らかにするとともに、第一次世界大戦の陰惨でトラウマ的な戦場をよく表現している場面でもあり、照明の演出が大変良かったと思う。そもそも日本には第一次世界大戦を扱った芝居があまりないのだが、この芝居では役者たちもちゃんと軍人らしく見えたし、戦争の芝居としてもよくできていたと思う。

 ウィトゲンシュタインの哲学が実はすごくアツいものだという内容の芝居であったので、おそらくこの芝居を見て『論理哲学論考』を読もうとチャレンジし、最初の五行くらいであきらめる観客が数人はいる…と思う。科哲組には以下のような参考文献をすすめられた。