キレイだけど、ちょっと美化しすぎ?〜『リリーのすべて』

 トム・フーパー監督『リリーのすべて』を見た。

 1920年代のデンマークを舞台に、きわめて初期の性別適合手術を受けたリリー・エルベ(男性のときの名前はアイナー、エディ・レッドメインが演じる)とその元妻ゲルダ・ヴェイナー(アリシア・ヴィキャンデル)の愛と葛藤を描いた作品である。事実に基づいているがかなり脚色されているそうで、実際はリリー以前にも性別を変更した人がいるとか、二人の年齢や関係などが変えられているとか、いろいろ話をドラマチックにするための変更がたくさん施されているそうだ。

 全体の印象としては、1920年代の画家ふたりの暮らしを描いているということで絵からインテリア、服装まで凝りに凝った美術と、平地が多いデンマークとは思えない壮大な山などの自然(全然違うところで撮ったらしい)を組み合わせ、とにかくキレイな映画になっている。これにエディ・レッドメインの中性的な美しさと、アリシア・ヴィキャンデル20年代の女性らしいおしゃれな魅力があいまって、視覚的にとても華やかな映画になっている。映像以外では、自分の中で抑圧していた性別違和感をおさえられなくなっていくリリーを演じるエディと、夫が女性になっても友人として尽くそうとするゲルダを演じるアリシアの演技を見るためみたいな映画で、このふたりの息がとてもよくあっている。

 ただ、話としてはかなり美化されているように思った。ゲルダとリリーの関係についてはもっとぎくしゃくどろどろしていてもいいように思う(お互いにボーイフレンドを作って、気にくわないことについて派手にケンカしたりするほうがリアルじゃない?)。リリーがゲルダのドレスに感化されて自分の性別違和をおさえられなくなるところもちょっとエロティックなおとぎ話みたいで単純化されていると思う。あと、前に私が読んだ論文で、性別適合手術を受けた方が適合後の性別にしっくりくる声の出し方を身につけるにはそれこそ役者に近いような訓練が必要でけっこう大変だということが書かれていたし、また身繕いから振る舞いまで性別の変更には苦労がたくさんあるのだろうと思うのだが、エディはもともとシェイクスピア劇の女形(『十二夜』の男装の麗人ヴァイオラ役でロンドンをうっとりさせたのが役者としての本格デビューである)として名をはせた役者なので、けっこうやすやすと美しい女性になってしまう。ストリッパーの動きなんかを見て研究するという場面もあるのだが、そうはいってもふつうはあんなに簡単にはいかないんじゃないかなーと思う。
↓これがヴァイオラ役のエディ。男装の麗人役である。

 一番よくわからなかったのは、リリーが性別適合手術の間はすっかり画家としての意欲を失ってしまうという描写である。ゲルダが「女性になったんだから女性として描いてみては」とすすめるのに、リリーは「画家じゃ無くて女になりたい」と断る。大きな手術を受けたりするときは体力が減るので、その間はエネルギーが必要な芸術的意欲が減退するというのはまあおかしくはないと思うのだが、リリーはゲルダが女性かつ画家として豊かに生きているのを目の当たりにしているのに「画家と女性が両立しない」みたいな発言をするのはちょっと道理に合わないように思った。一応、ゲルダはこれに反論するのだが、何か手術に伴って体力が減っているのでネガティヴになっているということならそのへんもう少し丁寧に描いたほうがよかった気がする。

 なお、この作品がベクデル・テストをパスするかはやや微妙である。というのも、アイナーがリリーになってからはゲルダとリリーが男性以外のことについて話す場面はけっこうあるのだが、ゲルダとリリーはもともと夫婦だったという設定だ。ゲルダとリリーの終盤の会話はだんだんあまり夫婦らしくなくなって女友達同士の会話という感じになるのでまあパスだろうとは思うのだが、ゲルダと昔からの女友達(バレリーナのウラはいいキャラだった)がもっと話す場面があってもいいのではと思う。
 
 あと、この映画の字幕翻訳には結構問題があると思う。アイナーのセリフは男言葉、リリーのセリフは女言葉で翻訳されているのだが、同じ人だしちょっと声の出し方なんかは変えているものの、そんなに字幕で過剰に女っぽさを強調しなくてもいいのではないかと思う。これはmessyの映画評でも指摘されていたことだが、翻訳についてはもっと工夫したほうがいいと思う。