だから権威主義的なヤツに避難所やらせるなどあれほど…『アイアムアヒーロー』(ネタバレあり)

 『アイアムアヒーロー』を見た。

 売れない漫画家だがなぜか銃の免許を持っている鈴木英雄(大泉洋)が主人公で、まあ簡単に言うとこの男がゾンビと闘うお話である。ゾンビに噛まれたがなぜか発症しないまま嗜眠症様の症状を呈するようになってしまった女子高生の比呂美(有村架純)を富士山の近くのアウトレットモールにある避難所に連れて行き、この避難所で元看護師らしい藪(長澤まさみ)と出会うのだが、避難所ではリーダーをつとめている男どもの仲間割れが発生。ゾンビと仲間割れから英雄は生き延びることができるのか?

 大変ちゃんとしたゾンビ映画である。これはプロットと死体の数とグロさすべてにおいてちゃんとしているという意味だ。まあ私はそんなにゾンビ映画としてずば抜けてグロいとは思わなかったのだが(この程度は妥当だろう)、普通にゾンビの頭が吹き飛んで血がブシャっと出たりはするので、あんまり一般向けというわけではないのかもしれない(普段『タイタス・アンドロニカス』とかを見ているので私の感覚が麻痺しているのかも)。最後は大泉洋vsザ・ワールドみたいな感じになる。

 ゾンビ映画にかぎらずこの手のパニックものでは第二のヤマとして避難所のガバナンス問題があると思うのだが、『アイアムアヒーロー』はこの避難所ガバナンスの描き方がかなりちゃんとしている。ゾンビや災害を描いた映画の議論ではよく言われることだし、またたしか『ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える』でも言われていたと思うのだが、権威主義的男性が避難所のトップになるとだいたいガバナンスに問題が生じるし、また権威を振りかざすような態度をとったり、自分の地位を利用して何か悪いことを企んだりするようなヤツはかなりの確率で死亡する。つまり、あまり難しいことを考えなくても、見ていて「あーこいつさっさとゾンビにやられて死なないかな…」と思うようなイヤな感じのやつがだいたい死ぬようにできている、ということだ(現実世界ではあまりそういうやつはゾンビにやられないのがいささか悲しいことであるが)。『アイアムアヒーロー』ではこの権威主義的な男性によるガバナンスの失敗が露骨で、男どもは女たちに性暴力を振るおうとするわ、英雄みたいな穏やかな男性をいじめるわ、ネタバレになるが最後はゾンビが襲撃してきているというのにお互いの権力闘争で崩壊するわ、全くただのバカの集まりである。とくに睡眠障害になった比呂美に対して男どもが下卑た関心を示したり、伊浦が藪に対して性暴力を振るっていたことがわかるあたり、こういう緊急時における避難所のようなところで発生する性暴力やセクシャルハラスメント、子どもの虐待の問題を扱っていてかなり今日的だ。実は英雄も途中で一度、比呂美の美貌に変な妄想をしかけてしまって「あれっここで大泉洋権威主義的男性になって死亡フラグか?」と思ったのだが、それは回避される(ただ、このくだりはいらないかもしれないと思う…というのも、比呂美が噛まれたことを見せる手順としてはあんまりスマートじゃないと思ったし、その後の英雄の比呂美を子どもとして保護しようとする行動と整合性が無い)。権威主義的バカに堕ちるのをどうにか回避した英雄は、弱いものいじめが嫌いでいろいろつらい思いをしてきたらしい藪や、まだ子どもである比呂美とともに生き延びることができる。ゾンビに対して権威は効かないが、権威に頼らない技術と判断力は効くからだ。

 と、いうことで、とてもちゃんとしたゾンビ映画だと思うのだが、それでも不満はいくつかある。私は寝てばっかりの比呂美が最後何かに覚醒して暴れてゾンビを倒すとかそういうことをしてくれるのかと楽しみにしていたのだが、最後まで寝ていてあまり見せ場が無い(比呂美がほとんど寝てばかりなので、藪とかなり絡むのだがベクデル・テストはパスしないと思う)。さらに比呂美がずっと寝てばかりになってしまった理由もよくわからない。それから最初ちょっとだけ出てくる中田コロリがその後あんまり機能しなくなるのもイマイチだった。おそらく比呂美の睡眠の理由や中田コロリについては原作で何か説明があるのではと思うのだが、映画ではそのあたりが端折られていて若干半端である。