東京芸術劇場で熊林弘高演出『かもめ』を見てきた。大女優アルカージナの田舎のお屋敷で,アルカージナの息子である作家志望のコースチャ、コースチャが愛する近所の娘ニーナ、アルカージナの彼氏である作家のボリスなどが繰り広げる人間関係を描く作品である。ニーナはコースチャを振ってボリスのもとへ走り、女優になって彼の子どもを産むが、子どもをなくし、ボリスにも捨てられるものの、最後まで耐えながら人生を生きようとする心意気を失わない。一方でコースチャはそんなニーナに振られて自殺してしまう。
いわゆるロシアのお屋敷風なセットは使わない非常に現代的な演出で、平たい舞台に布を使ったインテリアが特徴である。序盤は上から赤っぽい布がたるませて釣ってあり、後半では後ろに布をカーテンのように下げて、ニーナが退場するタイミングで落とすような演出もある。後ろに椅子が並べられ、退場しても完全に舞台から出ないで役者が座ったままにしておくというような演出も行われている。コースチャが撃ったかもめは手の込んだ小道具とかではなく、白い紙で表現される。シンプルなセッティングがかえって人生の悲惨さとおかしさを強調しているように見える。
全体的にとても面白おかしく、大人たちの悲惨な人生を笑うブラックユーモアにあふれた演出である。『かもめ』は喜劇として刊行されたらしいのだが、最後にニーナとコースチャが話した後、コースチャが自殺するという悲劇的な結末部分以外は笑える作品としてドタバタ喜劇ふうに演出されている。この笑いが全編に横溢する人生の苦痛の香りを和らげないところがまた面白い。マーシャがコースチャへの報われない想いに苦しんで酒やたばこ(あれ、ふつうのたばこじゃなくてハッパかな?)に逃避し、結局好きでもない男と結婚するあたりはずいぶんと悲惨な展開だと思うし、黒い服を着ていつも人生がつらそうなマーシャ(中嶋朋子)はひどく気の毒な人なのだが、それでもすごく笑うところがある。何も知らない若い娘からつらい人生を強く生きる大人へと変化するニーナ(満島ひかり)も、笑わせるところでは笑わせるが一方で非常に切実だ。
イライラするような人がたくさん出てきてイライラするような場面もたくさんある芝居だが、とくにこのプロダクションでイライラするのはコースチャ(坂口健太郎)である。前に藤原竜也がコースチャ役の『かもめ』を見た時は、イラつくなりにかわいそうな若者だと思ったのだが、この演出の坂口コースチャはムカつく感じが強くてあんまりかわいそうにすら見えない。序盤はとにかくよくいるイヤな感じの何もしないで口だけは達者な弱虫マッチョサブカル野郎みたいな感じですっごくイライラする。後半では一応作家になって頑張っているのだが、それでもニーナに未練たらたらの様子にちょっと辟易してしまうところがある。これはかなり正しいというか、コースチャらしいコースチャなのではという気がした。こんならニーナが釣りが趣味の色男ボリス(田中圭)のところに走ってしまうのも無理はない。