現代ロサンゼルスを舞台にした『ユリシーズ』〜『タンジェリン』

 ショーン・ベイカーの監督作『タンジェリン』を見てきた。全編iPhone 5sで撮影された映画である。トランスジェンダー(MtF)の女性2人が主人公なのだが、どちらも実際にトランスジェンダーである役者を起用している(大作映画では男優が演じることが多いので、画期的なキャスティングである)。

 話はかなりシンプルで、クリスマスイヴのロサンゼルスを舞台にしている。売春で暮らしている貧しいラティーナのトランスジェンダー女性、シンディ(キタナ・キキ・ロドリゲス)が、自分のボーイフレンドでポン引きであるチェスター(ジェームズ・ランソン)が他の女と浮気したのを知り、相手の女とチェスターを探してロサンゼルス中を歩き回るというものである。これに同じく売春で暮らしを立てているミュージシャン志望のアフリカ系のトランスジェンダーで、シンディの親友であるアレクサンドラ(マイヤ・テイラー)、2人の馴染みの客であるアルメニア系タクシー運転手のラズミック(カレン・カラグリアン)が絡んでくる。貧しい若者たちの苦境をリアルに描いたアートハウスな映画ではあるが、人間味も魅力も欠点もある登場人物たちの会話に笑える要素がたくさん詰め込まれており、あんまり肩肘張らずに見られるコメディである。

 基本的にヒロインであるシンディがドーナツ屋から出発し、ロサンゼルスを歩き回ってドーナツ屋に戻ってくる(そこからまたコインランドリーまで歩くのだが)という作りで、移動をすごく丁寧に撮っているあたりがジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』にちょっと似ていると思った。シンディがモーテルの乱交パーティを襲撃するところは『ユリシーズ』の「キルケ」挿話を思わせる。ロサンゼルスの土地勘があればもっとずっと面白く見られるのだろうと思う。ただ、このたくさんの移動を全部iPhoneで撮っているので、なんかたまに変なタイミングで手振れがあるのがちょっとつらい。部分的に見ていて酔ってしまったところが少しあった。
 
 あと、個人的にチェスターは実際に画面に出てくる前から絶対クズに違いないと思っていたのだが、最後に出てきたところを見たらほんとうにひでえ野郎で、マジでシンディ逃げて!と思ってしまった。ああいうロクデナシに夢中になっちゃう子は必ずひとりは仲間内にいると思う。ロサンゼルスなんて遠い町のことのようだが、ディテールがえらいリアルで人間関係については身につまされるところが多くある作品だ。

 ただ、話全体がこのクズ野郎のチェスターの浮気をめぐって展開するので、ちょっとくどいというのはあると思う。一応アレクサンドラとシンディが男性以外のことについて会話する場面はあるのでベクデル・テストはパスするのだが、とはいえ会話の大部分がチェスターの話に集中しており、こんだけたくさん会話があるのにやっとのことでベクデル・テストをパスしたといった感じである。あと、ちょっと気になったのは序盤でラズミックがタクシーに乗せる、東アジア系と思しき若い女性の描写である。ばかでかいキティちゃんのタブレットで自分の写真をとる派手な服装の若い女性なのだが、どうもこの描写がちょっとひっかかった。ラズミックが毎日乗せている不思議な乗客の1人といった感じなのだが、他のお客さんに比べて台詞が無いわりにちょっとふるまいが戯画化されすぎているというか、ステレオタイプな印象を受けた。