バケモノがバケモノとして出てくる芝居~『ゲゲゲの先生へ』

 前川知大作・演出『ゲゲゲの先生へ』を見てきた。タイトルからわかるように、水木しげるへのオマージュ的な作品である。

 

 主人公はどうもねずみ男っぽい、半分人間、半分妖怪の根津(佐々木蔵之介)という男である。この詐欺師風な男が半分妖怪になった顛末が語られる一方、男のところに逃げてきた若い妊婦である要(水上京香)とその恋人である忠(水田航生)の話も進行する。

 

 なんともいえないのらりくらりとした根津と、歴戦の妖怪で神であるおばば(白石加代子)や花子(松雪泰子)のやりとりを見ているだけで面白いし、また半透明の木がそびえ立つ森にボロい和風の部屋があるというセットも雰囲気があって良い。ただ、街では子供が生まれなくなっているというのに要は妊娠しているという『トゥモロー・ワールド』風のSF展開は必要なのかな…という気もした。しかし『太陽』でも夜型人間は子供が作れないという話があったのだが、前川知大は何か生殖不可能性というテーマにすごいこだわっているのだろうか。

 

 あと、なんだか見ているうちに「この芝居はバケモノがただバケモノとして出てくるリアリズムの演劇なんじゃないか」という感情が湧き起こってきてしまった。なんてったって役者はバケモノだと言われている。さらに、佐々木蔵之介白石加代子をはじめとして、バケモノの中でもとくにバケモノ度が高い役者陣を揃えている。私は佐々木蔵之介のお芝居を数回観たことがあるが、その中でふつうの人間だと思える役はひとつもなかったように思うし、白石加代子は出てきただけでバケモノだ。そういう意味では、なんか芝居でバケモノを出すというのはちょっと難しいのかも…という気がした。素でバケモノである人たちがバケモノを演じても、あまり意外性とか幻想味は無いような気がするからである。