ノスタルジアが執着に化ける時~ナショナル・シアター・ライヴ『フォリーズ』

 ナショナル・シアター・ライヴで『フォリーズ』を見てきた。タイトルの『フォリーズ』(Follies)は、たくさんのショーガールが出てきて踊るレヴューの「フォリーズ」と、「愚行」の意味のフォリーをかけている。脚本はジェームズ・ゴールドマン、作詞作曲がスティーヴン・ソンドハイム、演出がドミニク・クックである。

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 舞台は1970年代初頭のニューヨークである。第二次世界大戦頃までに「ワイズマンズ・フォリーズ」(明らかに実在するジーグフェルド・フォリーズをモデルにしている)で活躍していたショーガールたちが、劇場の取り壊しを前に同窓会に集まってくる。元ワイズマン・ガールであるサリー(イメルダ・スタウントン)とフィリス(ジェイニ-・ディー)はそれぞれの夫であるバディ(ピーター・フォーブズ)とベン(フィリップ・クワスト)を連れて参加するが、この夫婦は二組ともうまくいってない。さらに実はサリーとベンは若い頃、恋人同士だった。かつての想いが蘇り、サリーはベンとよりを戻そうとするが…

 

 構造はかなり複雑で、この主要人物4人全員に対して若い頃のバージョンを演じる役者がいる。話しているうちに若い頃の記憶がフラッシュバックして、若い時代のこの4人と年取ったこの4人が同じ舞台で演技をするというようなことになる場面もたくさんある。ボロボロになってしまった劇場なのに昔のとおりに華やかな姿をしたショーガールが出てきて踊るところもあり、全体的に幻想や幽霊と区別がつかないようなちょっと曖昧な記憶と、70年代の厳しい現実が交錯する話になっている。この現在と過去の夢の入れ替わりを、大規模なセットを使い、舞台を回転させたり、役者をダイナミックに動かしたりして表現している。

 

 物語は第二次世界大戦前の華やかなレヴュー劇場に対するノスタルジアが、失った青春の愛に対する郷愁、そして執着へと化けていく様子を描いていて、『フォリーズ』なんていうタイトルとレヴューの華やかなイメージからは想像できないようなシビアな内容だ。歌や踊りはどれも華やかでよく出来ているのだが、とくに終盤はどの歌にもどの踊りにも、皮肉や悲しみ、辛辣なユーモアがこめられている。人生に対する後悔や老いに対する恐怖から、若く生き生きとしたショーガールだった頃の想い出に固執してかつての愛を再燃させようとするサリーは、たしかに「フォリー」つまり愚行と狂気の世界に片足を突っ込んでいると言えると思うのだが、それでも見ていてとてもかわいそうに思えてくるところがある。イメルダ・スタウントンが本当に上手で、ちょっとイライラするところもあるし正気でないと思えるようなところもあるが、それでも可愛かったり気の毒だったりするサリーを奥行きのあるキャラクターとして演じている。他の3名も大変な好演だし、脇を固めるショーガールたちにも見せ場があって、ひとりひとり深みのある人間として描かれているのがよかった。

 

 この作品は初演は興行的にうまくいかなかったらしいのだが、たしかにこんなに金のかかる豪華な外見でこんだけ厳しい内容だと、1971年の趣味には合わなかったんだろうなと思う。1967年に作られた『ヘアー』のブロードウェイ版がまだやってた時期に発表されたそうで、そりゃ水瓶座の時代が幕開けしてんのにこんな話はウケなかったんだろうなと思う。メチャクチャな政情である現在にはむしろふさわしい作品だ。