こんなのは地獄じゃない~神奈川芸術劇場『出口なし』

か KAAT神奈川芸術劇場白井晃演出サルトル『出口なし』を見てきた。ガルサンが首藤康之エステルが中村恩恵、イネスが秋山菜津子である。これを生で見るのはたぶん4回目くらいである。

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 いろいろ工夫したのはわかるのだが、全体に全く趣味でなくて辛くて眠かった…とりあえず、全体に踊りがあるのが良くない。踊りというのは気をつけないと美しくなりやすいが、『出口なし』というのは惨めで醜い地獄のような人生に関するドタバタしたブラックユーモア劇であって、美しかったりセクシーだったりしてはダメだと思うのである。言葉というのは醜悪な人生を表現するのは適しているが、その点、ダンスというのはどうしても美しく見えるところがあり(醜悪さを表現できないわけではないと思うが難しい)、鍛えられたダンサーが身体を動かすと芝居の見映えがひどくこぎれいになってしまう。これでは地獄ではない。

 さらに、サルトルは「まなざしの哲学者」で、『出口なし』は視線を問題化する芝居なので、ダンサーの動きを見て観客が純粋に喜んでしまうような演出ではダメだと思うのである。『出口なし』では登場人物が他者から見られることに過剰に意味を見出そうとしたり、他者を見ることで行動をコントロールしようとしたり、視線の権力をめぐる戦いが戯画化された形で醜く、諷刺的に描かれている。人は他者に見られ、他者を見ることで自分を確立するが、一方でその視線は容易に地獄になり得る。見ること、見られることのツラさについての芝居である『出口なし』に、美しい身体の居場所なんかないと思う。