笑えてショッキングで政治的な北アイルランドの芝居~ロイヤル・コート劇場、Cypress Avenue (配信)

 ロイヤル・コート劇場のCypress Avenue配信を見た。北アイルランドの劇作家デイヴィッド・アイルランドによる作品で、ヴィッキー・フェザーストーン演出、主演はスターのスティーヴン・レイである。1時間35分くらいで英語字幕がつく。

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 主人公のエリック(スティーヴン・レイ)はベルファスト出身のプロテスタントで、強硬なユニオニスト(イギリスとの連合に忠実な立場)である。カトリックリパブリカンが大嫌いで、自分はアイルランド人ではなくイギリス人(British)だと言い、人種差別・性差別・同性愛者差別・宗教差別発言を繰り返している…のだが、常に自分のアイデンティティに不安を抱えている。エリックは赤ん坊である孫娘がシン・フェイン(アイルランドナショナリスト政党)の党首ジェリー・アダムズにそっくりだという妄執にとらわれるようになり、どんどん精神のバランスを崩していくが…

 

 エリックを演じるスティーヴン・レイがとにかく上手で、不条理でブラックの芝居に出てくる大変不愉快で暴力的な役柄であるにもかかわらず、ちゃんとリアリティのある人物に見える。エリックが感じている不安というのは極めて北アイルランドの政治的状況に即したものではあるのだが、一方で普遍性のある不安でもある。政治的な分断があるところで既に終わったはずの過去にしがみつき、敵が自分たちの生活をメチャクチャにしようとしているという執念にとらわれて前を見ることができなくなっているというのは、現在の世界のどこでも起こっていることだ。そしてそれが前半は笑いに満ちた形で、終盤は突発的な暴力と狂気に満ちたショッキングな形で提示されている。この極めてショッキングな終わり方はちょっとやりすぎと思う人もいるかもと思うし(終盤、客席がけっこう凍り付いているところが映像からもわかる)、初期のマーティン・マクドナーっぽい荒削りな感じで余韻が削がれているところはちょっとあると思うのだが、それでも正直な書き方ではあると思った。エリックが感じている不安というのはある意味で伝統的な「男らしさ」を阻害する要因(自分の不安に素直に向き合うこと、感情や愛情を露わにすること)を認めたくないという気持ちに還元できると思うのだが、エリックはこの阻害要因のおおもとを抹殺するのである。エリックは赤ん坊の孫娘について「孫娘にはこんな世の中で育って欲しくない」というようなことをちらっと言うのだが、それを実行に移すわけだ。

 

 ジョークはどれもブラックだがものすごく笑える。北アイルランドの地域ネタに根ざしたものも多い。スティーヴン・レイが赤ん坊でまだ話せない孫娘に「ジェリー・アダムズの演説禁止はもう終わったぞ」とか言うのだが、これは80年代にアイルランド民兵組織関係者の肉声を放送するのが禁止されたことを示唆している。そして、この禁止期間に検閲をかいくぐるため、放送禁止をくらった人の発言は肉声放送ではなく別の役者を雇って読ませるという方法がとられたのだが、この時にジェリー・アダムズの声を担当していたのがスティーヴン・レイである(ちなみにレイの元妻は若い時、IRAのテロリストだったらしい)。ずいぶんと政治的で地元色の強いジョークネタだ。他にもいろいろイギリス人しかわからなそうなご当地ジョークがいっぱいある。

 

 そしてちょっと面白いと思ったのは、これは2016年初演の芝居で、そのときからずいぶんと世相が変わったということだ。エリックの娘で、カトリック嫌いではあるのだがそこそこ現代的で世の中と折り合いを付けて暮らしているジュリー(エイミー・モロイ)が、もう北アイルランド紛争というのは過去のもので、統一アイルランドなどというのは古い考えだというようなことを示唆する。2016年にはこういう認識で良かったのだと思うのだが、Brexit以降のアイルランド島では状況が大きく異なり、最近の選挙ではシン・フェインが躍進したし、統一アイルランドについて真面目に政党同士で話し合わないといけないという話がごく最近も何度もニュースで出てきている状況だ。イギリスがEUでなくなれば統一アイルランドという概念はどんどん具体的で魅力的に見えてくる。エリックの不安は戻ってきたのだ。