老優をめぐる1.5人芝居~『バリモア』

 シアター1010で『バリモア』を見た。ウィリアム・ルースによる戯曲で、丹野郁弓演出、無名塾による公演である。1942年、『リチャード三世』を久しぶりに演じようとする老優ジョン・バリモアと、声だけのアシスタント、フランクのやりとりで展開する芝居で、1.5人芝居というような感じである。

 基本的にバリモア役の仲代達矢の演技を見る芝居である。こういう老名優がまるで自らの映し鏡みたいな老名優の役をやるというだけで見ていて面白いし、いろいろ笑えるところもある。こういう、「名優が演じる前提で名優の人生を」みたいな芝居は『キーン』(エドマンド・キーンについての芝居)とか『ドレッサー』とか『レッド・ヴェルヴェット』(アイラ・オルドリッジについての芝居)とかいろいろあり、役者自身の個性が大事なので、その種の上演としては成功していると思う。

 ただ、台本じたいの洗練度としては『キーン』や『ドレッサー』には負けるかなぁ…という気がした。『バリモア』はわりと小ネタで笑わせるみたいな台詞が多くて、それぞれの小ネタがそこまで有機的につながっていない。『キーン』などに比べるとちょっとまとまりのない印象を受ける。

かなりちゃんとした『オセロー』翻案~『ミナト町純情オセロ~月がとっても慕情篇~』(ネタバレあり)

 劇団☆新感線ミナト町純情オセロ~月がとっても慕情篇~』を見てきた。青木豪作、いのうえひでのり演出による『オセロー』の翻案である(かなり『仁義なき戦い』の影響も受けている)。2011年に初演された作品の12年ぶりの再演だが、設定はかなり変更されているということだ。

 舞台は1950年代、日本の関西っぽい瀬戸内に面した「神部」(たぶん神戸)である。ヤクザがしのぎをけずる中、ブラジル系のオセロ(三宅健)は沙鷗組の親分をかばってケガをし、入院中である。親分は亡くなり、オセロは二代目襲名を嘱望されていたが、医者の娘であるモナ(松井玲奈)と結婚して堅気になることにする。ところがそれを知った先代組長の妻アイ子(高田聖子)は面白くなく、さらにオセロが自分の夫を庇ったわけではないのではないかという疑念もあって、オセロとモナを仲違いさせることを計画する。

 コテコテのセリフに美術も戦後風俗たっぷりの作品だが、内容はかなりちゃんとした『オセロー』である。オセロがブラジル系なのはなかなかうまい設定だし、イアーゴーにあたるアイ子が在日コリアンの娘だというのも良い。そもそもイアーゴーはたぶんスペインかどこかにルーツがあって原作でもヴェネツィア人ではなくよそ者みたいで、同じくよそ者でさらに苛酷なバックグラウンドから這い上がってきたオセローに対して嫉妬しているというようなところがある。最近の英語圏ではイアーゴーも非白人にするキャスティングもあるのだが、この『ミナト町純情オセロ』の設定はそのへんに似ている。そしてこの主要登場人物のルーツにブラジルの大事に世界大戦における「勝ち組・負け組」問題とか、関東大震災時の在日コリアン虐殺に関するデマの問題を絡めているのも上手だ。ただ、やたらと登場人物がデマについてセリフで言うのはちょっとしつこい…というか、展開からして一度さらっと言えばこの演出の主要テーマがデマの問題だというのは誰にでもわかると思うので、そんなに何度も強調する必要はないのではと思った。

 あまり見かけない気がするのはイアーゴーを女性にしたことである。通常は『オセロー』は男性同士の男らしさと面子をめぐる嫉妬の話として描かれることが多いと思うのだが、この作品では親分の前妻であり姐御であるアイ子がイアーゴーの役回りをつとめることで、どっちかというと母親とか姉のような保護者役をつとめている女性が、目をかけている被保護者が勝手に自分の手から離れていくことに苛立ちを募らせ、さらには愛する夫の死をめぐる噂で理性的な判断もできなくなって悪事に手を染めていくというような話になっている。そういう意味ではこれは子離れできない擬似的な母親と息子の機能不全な関係を描いた作品でもある。原作よりはだいぶウェットだと思うが、これはこれで味があり、面白い。

紀要に研究ノートを投稿しました

 武蔵大学の紀要である『人文学会雑誌』第54巻第1号に「[研究ノート]フェイクニュースの島――ヘンリー・ネヴィルのThe Isle of Pinesを読む」を投稿しました。2020年に英文学会でやったシンポジウム原稿をまとめたものです。書誌情報は以下の通りです。

北村紗衣「[研究ノート]フェイクニュースの島――ヘンリー・ネヴィルのThe Isle of Pinesを読む」『人文学会雑誌』第54巻第1号(2023)、116-151。

22日に『アフター6ジャンクション』でプレコード映画の話をします

 3月22日(水)の『アフター6ジャンクション』に出演してプレコード映画のお話をすることになりました。このところwezzyでやっているプレコード映画特集の関連です。20時頃からの予定です。

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 前日の21日にはプレコードホラー映画に関するオンラインイベントもやりますので、お気軽にご参加ください。映画を見たことがなくてもとくに問題なくわかるイベントかと思います。

wezz-y.com

演技はいいが、内容はよくある家庭劇~『The Son/息子』(試写、ネタバレ注意)

試写 フロリアン・ゼレール監督『The Son/息子』を試写で見た。

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 ピーター(ヒュー・ジャックマン)は妻ケイト(ローラ・ダーン)と離婚し、若いベス(ヴァネッサ・カービー)と再婚して息子セオが生まれたばかりである。ところが前妻ケイトから連絡があり、ケイトと住んでいるティーンエイジャーの息子ニコラス(ゼン・マクグラス)が不登校メンタルヘルスの問題を抱えていることを知る。ピーターはニコラスとしばらく一緒に暮らすことにするが…

 ヒュー・ジャックマンの演技は見るだけで価値があるし、他の役者陣も大変達者である。ただ、タイトルとテーマからしてどうしてもゼレール監督の前作『ファーザー』と比べてしまうのだが、構成が斬新で、さらに病気になった人の主体性も感じられる作りだった『ファーザー』に比べると、構成がオーソドックスで(最後にちょっとだけひねりがあるが)、あまり新しさはなく、よくある真面目な家庭劇という感じである。視点人物が病気の息子ではなく親なので、病気の人物の主体性があまり感じられないのもちょっと物足りないし、そのせいか息子役のマクグラスはどうもベテランに囲まれて演技がぱっとしないな…と思えるところもある。問題だらけの親子関係を描いた映画としては『ロスト・ドーター』とかのほうが斬新だった気がするし、まあジャックマンの演技を楽しむ映画かな…という気がする。

 

願望とダンス~『マジック・マイク ラストダンス』

 『マジック・マイク ラストダンス』を見てきた。チャニング・テイタムが作っている『マジック・マイク』シリーズの最新作で、おそらく最終作である。スティーヴン・ソダーバーグが監督をつとめている。

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 新型コロナのせいで家具ビジネスが続けられなくなり、バーテンなどをして暮らしているマイク(チャニング・テイタム)は、雇われバーテンとして働いたパーティで不幸な人妻マックス(サルマ・ハエックピノー)に踊ってくれないかと言われる。マイクはそのままマックスと関係を持ち、ダンスに感動したマックスにスカウトされてロンドンに連れて行かれる。マックスがなかなか離婚できない夫からぶんどったロンドンの劇場でショーの振付をまかされたマイクは、何が何だかわからないまま、久しぶりにクリエイティヴなやる気を刺激されてショーに取り組む。

 アメリカやイギリスで実際に上演された『マジック・マイク・ライヴ』を作る様子をベースにしていると思われるが、ロマンスなどのお話はもちろんフィクションである。最後の30分くらいはショーの様子を描いているのだが、けっこう実際のショーに忠実だ(「ユニコーン」は実際のショーではストップワードとしても使われていた)。既に40歳を過ぎているテイタムが全て自分で踊っているそうで、ダンスの迫力は折り紙付きである。なお、この映画ではウェストエンドの劇場はとても保守的なところとして描かれているが、新型コロナ前からウェストエンドではふつうにバーレスクとかをやっていたので、この程度でそんなに問題は起こらない気もするし、あんなにウケが良かったらラティガン一家のほうも強硬手段はとれなくなりそうなので、この映画が終わった後にマックスが破産することはないのではないか…と思う。

 全体のお話としては、不幸なマックスがかなり年下のマイクと恋に落ちるものの、お互いいろいろあってなかなかうまくいかない…というような展開である。基本的にこのシリーズはマイクを始めとするセクシーな男たちがいろいろな女性の願いを叶えるというようなことが基本コンセプトなので、中年女性(とはいえすごくセクシーなサルマ・ハエックなわけだが)がセクシーな年下のマイクと恋に落ちるという、中年女性の願望を臆面も無く反映した展開になっている(チャニング・テイタムは『ザ・ロストシティ』でも同じことをしていたので、意識的にそういう役をやってジェンダーロールを反転させようとしているのだと思う)。途中で『プリティ・ウーマン』のパロディみたいなところもあり、恋愛プロットはちょっとひねった形でパロディ化されたロマコメという感じだ。

 ただ、『マジック・マイク』は基本的にはお仕事映画でダンス映画だと思うので、面白いのはダンスや舞台作りのプロセスだ。序盤で、マイクがダンスの前にマックスの家の建て付けをチェックして褒めており、やっぱり家具職人だから…と思ったらダンスの時に柱を振付に利用していて、おお、そこはプロのこだわりだったのか…と思うところがあるが、こういう描写がこのシリーズの醍醐味だと思う。劇場でマイクとマックスがクリエイティヴなことで衝突するところはかなり面白く、マイクがあまり「ディレクター」ぶらず、マックスや主演女優の意見を聞いてステージを作るところは良い。ただ、そのわりにそれぞれのダンサーの個性があんまり強調できていないのと、これまでアメリカでは活躍していた前作のダンサーたちがカメオ出演しかしていないのは寂しいところだ。正直なところ、恋愛プロットはカットして、感動したマックスがマイクをスカウトし、2人で一生懸命舞台を作る、みたいなプロットのほうが、いろいろなダンサーに焦点を当てられてお仕事ダンス映画としてはすっきりしたかもしれないと思う。

 

 

スピルバーグの一番クィアな映画~『フェイブルマンズ』

 スティーヴン・スピルバーグ監督の最新作『フェイブルマンズ』を見てきた。監督の半自伝的な作品である。

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 舞台は50年代のアメリカである。ユダヤ系一家の息子である幼いサム・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル、名前はサミーとかサミュエルとか言われているところもある)は、ピアニストである母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)とコンピュータ技術者の父バート(ポール・ダノ)に初めて映画に連れて行ってもらい、夢中になる。サムは映画撮影に夢中になるが、家族旅行を撮影した際、ミッツィと父の部下であるベニー(セス・ローゲン)との不倫を示唆する場面を撮ってしまったらしいことに気付く。バートの仕事の関係でフェイブルマン一家はカリフォルニアに引っ越すが、ベニーと離れた母は情緒不安定になり、サムは反ユダヤ主義的なクラスメイトにいじめられる。両親は離婚し、サムは映画界で働くことになる。

 半自伝的な作品で、いろいろなことが起こるが、軸はサムの映画への愛と、自分を押し殺して芸術家らしさを抑圧して生きていたミッツィの不満である。この2つがあんまり良くない形で絡んでくるのがポイントで、芸術が日常生活の幸福とはある意味で相容れないものであり、とくに映画というのは人が見たくない真実を映し出してしまうこともあるもので、芸術家というのは因果な商売だ…みたいなことを示唆している。それでも撮らないと生きていけないのが映画監督であり、作中でもけっこうはっきり言われているように、サムは母親のミッツィとよく似ている。不倫をした母親やその相手を単純に断罪せず、かなりニュアンスのある描き方で家族の問題をリアルに扱っている作品である。

 また、この作品はおそらくスピルバーグ作品の中で最もクィアな作品である(言っちゃ悪いが『カラーパープル』よりもセクシーだ)。脚本に『エンジェルス・イン・アメリカ』の劇作家であるトニー・クシュナーがかかわっているからだと思うのだが(クシュナーは最近いつもスピルバーグと仕事していて、監督と脚本家の継続的なコラボレーションとしては極めて成功しているものだと思う)、終盤のプロムの場面などは『エンジェルス・イン・アメリカ』に入っていてもおかしくないくらいクシュナー風味全開である。そしてこの作品の主人公であるサムと、転校してからかかわるモニカ(クロエ・イースト)とローガン(サム・レヒナー)はひょっとしたらクィアなのではないかと思える解釈の余地がある。

 この作品はスピルバーグの半自伝的作品で、スピルバーグヘテロセクシュアルだと思われるが、だからといってサムもヘテロセクシュアルだとは限らない。サムの人生が完全に監督の人生に一致しているとは限らないし、映画は監督以外にもいろいろな人がかかわって作られるものだ。『フェイブルマンズ』はその点、かなりきちんと作り込まれたフィクションである。サムは途中で、男の子ばかり撮っていて女の子を撮らないということを姉妹たちに批判されているが、これは大人になってからスピルバーグが批評で言われて最近けっこう克服した監督としての弱点への言及である一方、たぶんサムが基本的に男の子にしか興味がないことを示す伏線である。サムは高校のビーチパーティの記録映画を作る時、自分をいじめたローガンの美貌を際立たせるような編集をした。後でローガンに問い詰められたサムは、少しでも友達になりたくて…みたいなことを言うが、これはサムが美しい男性に対して欲望を抱いていて、それを知らず知らず映画に昇華させていることを示唆しているのではないかと思う。サムは神様フェチのモニカと付き合っているのだが、プロムでいきなりモニカに求婚して振られるなど、サムの女の子に対する見方はかなり未熟で、付き合えば結婚するもの…みたいな単純な理解に基づいているが、一方でサムが美しく撮りたいのは男性である。サムは男性に対して欲望を抱いているが、それに気付いていないのだと思う。

 一方でローガンも見た目よりだいぶ複雑だ。ガールフレンドがいるのに他の女の子とキスしており、浮気者でいじめっ子のいけすかないジョックだが、一方でみんながただただ面白がって喝采しているだけのサムの記録映画を見て、自分に向けられた独特の視線に居心地悪さを感じるだけの繊細な美意識も有している。この映画を見て度外れにローガンが動揺し、サムに詰め寄るところは、ローガンが男性であるサムから向けられた欲望の視線をなんとなく快いものとして受け取っていることの裏返しではないかと思う。ローガンは自分が男性から欲望される対象であることに気付いてそれに心地よさを感じたが、一方でそうした同性愛的な感情はマッチョなモテ男としては持つべきではないものである。プロムの後でサムとローガンが対峙する場面はどこのBLかと思うようなエロティックな感情的緊張感が漂っている。

 また、モニカもなんだかちょっとクィアである。神様フェチで美しい男性を崇拝するのは好きだが、一方で結婚には全く興味がなさそうだ。男性に対する性欲はあるみたいだがサムのことは友達みたいに扱っているところもあり、ひょっとするとアロマンティックなのでは…と思った。