パティ・スミスのドキュメンタリー映画『ドリーム・オブ・ライフ』を見た。
…で、この映画は基本的にパティ・スミスのものすごい存在感で持ってるだけで、編集とか作りの点ではあまり上手じゃなくアート志向で工夫が少なすぎるのでは…と思った。
とにかくパティ・スミスは20世紀後半のアメリカを代表する詩人といっていい人だと思うのだが、まあとにかくヘンな人で、言うことのひとつひとつが非常に気持ち悪い(←褒めてるつもり。日常のことばにおさまらない話し方をするので、聞いてるこっちの体内時計が狂いそう)。ブッシュ批判のスピーチとか、そこらへんのおっちゃんおばちゃんがやると単なるできの悪いアジ演説になりそうなのに、パティ・スミスがしゃべるとまるで預言者が話しているみたいできちんと詩になる。猫に話しかけていてもバカ話をしてても普通に話していても全部詩になる(きっと鳥に話しかければ聖フランチェスコと間違えられ、ライオンに話しかければ聖ヒエロニムスと間違えられるだろう)。
…ところが、編集がなんかかなりイマイチで映画をつまらなくしている気がした。著作権の関係のせいなのかもしれないが、ライヴ映像が少なかったり、ライヴ映像を使っているのに音声がライヴのものでなかったり、ロックミュージシャンを撮った映画としてはかなり興ざめである。とくに日本のライヴを撮ったところはかなり唐突でひどい(あそこまで編集がヘンだと一種のオリエンタリズムに見えないか?)。それから、パティがいつどこで何をしたのかがよくわからないようになっているのも良くない。どこでやったライヴなのかとか、いつ撮った映像なのかとか、そういう情報が一切表示されないので、ドキュメンタリーが有しているべき史料的価値みたいなもんがないと思う(ドキュメンタリーは人のやったことを記録するものなんだし、これはすごい詩人でロックミュージシャンである人の事績を撮ったもんなんだから、いくらアートっぽいドキュメンタリーでもいつどこでだれが何をやったかぐらいはわかる作りにしたほうがいいと思う。そういう配慮がないとこが「下手にアートっぽい」と思った理由)。ポエトリーリーディングみたいな場面もいっぱいあるのだが、パティが詩を口にしているところにかぶさるイメージ映像みたいなのもなんか若かりし頃のジム・ジャームッシュがちょっと失敗したみたいなたるい感じでどうもあまりいいとは思えなかった。私、ポエトリーリーディングというのは舞台上演と同じで、とても儚い生ものであることが重要なんじゃないかと思うのだが、この映画はパティが詩を読む様子を臨場感を持って伝えようとはせずにイメージ映像でごまかしてる感じがして、あまり感心できなかった。こういうのが好みな人もいるだろうが、私はあまり「記録映画」としては評価できなかったな…