Truthiness vs. Fact(1)図書館における「事実の調査」について

 昨日のエントリが思いの外賛否両論を呼んでしまったので、今日はちょっと昨日頭に血が上っていて(「いつも頭に血が上ってるだろう」という指摘は受け付けませんぞ)書ききれなかったことを補足的に書こうと思う。前半は私が学部時代に学んだことに基づく地に足のついた経験談、後半は私の妄想になる予定である(?!)。


 で、まず書いておいたほうが良さそうなことは、私はプロの司書ではないので、本当は本職のレファレンス司書さんにもっと専門的な知識に基づいたエントリをアップしてほしいなと思っているということである。私は学部時代に図書館情報学を勉強してたけど結局司書として就職するのはあきらめたし(すんごく就職がないんだよな…しかも地方自治体だと図書館以外の部署にとばされることがあるらしいし)、実務経験もTAとして駒場博物館図書室の運営に三年くらい携わっていたのと、英語のTAとして大学一年生にレファレンスを教えていたくらいしかないので、非常に乏しいもんだ(みんなに「専門は女装だろう」などと疑われているが、本職は英文学者で、図書館の専門家ではない)。



 …で、昨日のブックマークなどを見るとどうも図書館が「事実の調査」を行うことに違和感を抱いている人が結構いるみたいなのだし、あと「グーグルにきけ」と言っている人もいるようなのだが、これは大きな誤解である。



 「事実の調査」をどうして図書館がやるのかという話はちょっと後でするとして、まず「インターネットが発達した時代になぜ司書にきく必要があるのか」という話については、二通りの答え方(もしくはケンカの売り方)がある。



(1) 「あんたはインターネットできるからいいだろうけど、うちのばあちゃんはできんぞ」

 ブログなんか毎日やってるような人はいいだろうが、総務省の調査によると、日本のインターネット普及率は人口の75.3%だそうで、国民の四分の一はネットできない。それにネットにアクセスできるといってもスキルはピンキリで、うちの母は私の留学に伴って先週からネットをやり始めたのだが、数日前に急にネットできなくなったと携帯からメールをよこしてきた。昨日詳しい人に見てもらったらしいのだが、そしたら「たんに無線のキイをオフにしていただけ」だったらしい。こんな母に「グーグル使って本にカビがはえた場合の対処法をさがしてこい」と言っても、うまいこと見つかるかは非常に疑問である。うちのばあちゃんに至ってはネットどころか携帯メールも変換できなくてひらがなばっかりだし、ばあちゃんの友達にはほとんど文字が読めんような人もいる。こんなばあちゃんたちにもものを調べる権利があるはずだし、そういう時に手伝ってくれる人が必要だ。ネットでものを調べるなんですぐできるようになるだろうと思っている人は、他人のメディアリテラシーを買いかぶりすぎである。



(2)「グーグルが人間よりもできると思ってんの?そう思ってるあんたのメディアリテラシーのほうが疑わしくない?」 

 これは図書館がどうして「事実の調査」をやるのかという話に最終的にはつながるのだが、はっきり言って一般人がグーグルで調べるのと、訓練を受けた人間がいろんな資料(グーグルも含む)を使って調べるんなら、訓練を受けた人間のほうが明らかに調べ物ができる。

 「事実の調査」なんて難しいことを図書館にやらせるなんて信じられんという人もいるようなのだが、はっきり言って一般人が知りたがるような情報はたいていどっかで組織化してあるので、その組織化したものがどこから手繰れるのか、訓練を受けて理解さえしていれば結構答えにたどり着ける。ところがグーグルで出てくる情報というのは組織化されていないので、訓練を受けていない人が調べると無駄に時間がかかることがある。グーグルはリンクの多寡によって一ページ目に表示されるものが決まるというシステムをとっているのだが、これだと「あまりメジャーじゃないが信憑性のある情報」にたどり着くには時間がかかる上、検索キーワードの選び方によってかなり結果が違ってしまうので(ためしに「女性運動」と「婦人運動」で検索してみるといい。ほぼ同じものをさしているのに相当検索結果が違うから)、シロートには難しいところがある。

 これに対して人間の頭というのはよくできていて、ものを覚えたり調べたりするのに秀でいている人というのは、いろいろなものを関連づけて、信憑性の高いものを重視しつつ、コンピュータよりはるかに効率よく脳内に並べておくことができる。他人と議論したおかげでいい情報が得られるということはよくあると思うのだが、頭に情報を収納するのがうまい人と話すのはコンピュータにきくよりもかなり調べ物の効率をあげることがある。

 …と、いうわけで、レファレンス司書は「目当ての情報にどこからたどり着けるか」について徹底的に訓練を受けるわけであるが、私が東大教育学部で受けた訓練は鼻血が出そうになるほど大変なものであった。以下のような課題が週に10個くらい出て、来週までにそのうち5つを信憑性のある資料を用いて調べてこないといけない。

(レファレンス課題)

1. 旧日本陸軍において、諜報及び化学兵器開発の教育を専門としていた学校名を調べよ。

2. 半分生きていて半分死んでいるヘンな猫の話があるらしいのだが、なんだっけ?

3. 泉鏡花の作品で白雪姫が出てくるものがあった気がするのだが、何というタイトルか。

4. ミケランジェロの「ピエタ」が見たいのだが、どこに行けば見られるか。

5. アラビアン・ナイトをフランス語とか英語からじゃなくもとのアラビア語から全訳したものを読みたいのですが、ありますか?

6. 土瓶及びミサイルの数え方を調べよ。

7. 盧溝橋事件を当時の日本人がどう受け止めたのか知りたいんだけど、その頃の文献を集中的に調べられる資料ありますか?

8. 調布市はいつから調布市になったの?

9. 「サザエさん」の新聞連載及びテレビ放送開始の正確な日付を知りたい。

10. 『アエラ』創刊号の表紙の人物は誰か?

 …で、これを毎週5つずつやっているとマジで大変なわけであるが、効率よく調べるにはまずとにかくたくさん資料の名前を覚えることが重要である。たとえば(7)の質問に答えるにはとりあえず『大東亜戦争書誌 』っていうやつを見てくれと言えばいいし、ものの数え方を調べるには『新明解国語辞典』及び『大辞林』のカラー図表が有効である。

 それからもう一つ重要なのは、どういう検索語で検索すればいい検索結果があがってくるかを身につけることである。さっきの「女性運動」と「婦人運動」みたいに、類似のものをいくつかの別の言葉が表している場合は、検索用シソーラス(そういうものがあるのである)なんかを使いながらどういう検索語でやればもれなく効率よく調べられるか試行錯誤しながら学ぶ。フレーズサーチの使い方とか、一度に入れる検索語の数、あるいは日本語と英語の検索システムのクセ(日本語の検索システムは部分一致が主なので英語とクセが違う)なんかも身につけねばならない。

 そういうわけでうちら司書資格取得を目指していた人たちは必死にわけのわからん事典の名前を覚えたり、演算子を駆使して検索の練習をしたりするわけだが、半年間こんなんばっかりやってると相当に調べ物が上達して、ズブのシロートである図書館利用者がどんな質問をしてきても真っ青にならずに対処できるくらいの落ち着きは身につくようになる。


 で、図書館が「事実の調査」を行うのは、ズブのシロートは絶対こんなに事典の使い方や検索のコツなんか知りっこないし、知らなきゃ永久にお目当ての情報にたどり着けないからである。「事実の調査」を行う本来の目的は、利用者に自分で事実を調べられるくらいの情報スキルを身につけてもらうことなのだが、書誌情報の読み方も検索の仕方もわからんシロート市民が最初っからこんなことはできっこない。だから司書がかわりにやり方を解説しながら調べてあげることで、利用者に少しずつスキルを身につけてもらうようにする。ただしこのへんはとても上手にやらないと、単なる「質問お答えコーナー」になってしまって利用者がスキルを身につけることができないので難しい(まあスキルトレーニングがあまりうまくいかなかったとしても、来たときは知らなかったことをひとつ知って帰って行ったという点で、利用者は図書館に来たかいがあったとは思うけど)。
 

 …と、そういうわけで、図書館は事実の調査を行うわけだが、ちょっと前半だけで長くなりすぎてしまった…後半はこういう図書館のレファレンスサービスというものの根底にある理想について私の勝手な妄想を書くつもりだったのだが、それは明日か明後日にまわして、今日はスーパーレファレンス司書に関する映画をご紹介して終わりにしようと思う。


 キャサリン・ヘプバーンスペンサー・トレイシーのコンビがお送りする名作、『デスク・セット』。大企業のレファレンス室(全員女性)を束ねているスーパー司書、ミス・ワトソン(ヘプバーン)は調べ物の超達人で、社員の疑問には何でも答えてくれる人気者であり、素敵な上司とも婚約中。ところがそこにスーパーレファレンスコンピュータ「エマラック」を携えたギーク技術者リチャードが現れ、ミス・ワトソンのレファレンス能力に戦いを挑む!