ギャリック座、ルパート・エヴェレット主演『ピグマリオン』〜なんと、ラストは原作通りの解釈です!

 ギャリック座でバーナード・ショーの『ピグマリオン』を見てきた。ヒギンズ役はルパート・エヴェレット、イライザ役は『イーストエンダーズ』に出ているカーラ・トイントン。


 これは『マイ・フェア・レディ』の原作なのでお話は誰でも知ってると思うのだが、まあ一応説明しておくと、言語学者のヒギンズ教授が激しいコックニー訛りを話す花売り娘イライザを六ヶ月で上流階級のレディに仕立て上げるか賭をする…という話。で、イライザは六ヶ月ですっかり知性と教養あるレディになるわけだが、いっこうに自分を一人前の大人として扱ってくれる気配のないヒギンズに業を煮やして大げんかを…というもの。気の利いた台詞にイギリスの階級社会に対する辛辣な諷刺がたっぷり詰まった喜劇である。


 ところがこの戯曲、実はラストの解釈が大問題で、演出家にはたぶん頭の痛い作品のひとつである。と、いうのも、原作では一応イライザは傲慢なヒギンズを捨てて貧乏貴族のフレディと結婚する…みたいな発言をして終わることになっているのだが、最後の最後にイライザが戻ってきてヒギンズを許すという解釈も可能で、1930年代の映画版やミュージカルの『マイ・フェア・レディ』、あと翻案である『プリティ・ウーマン』や『シーズ・オール・ザット』は全部そういう解釈に基づいている。ショーはこういう誤った解釈は非常に気に入らないと言って、あとがきでわざわざイライザはフレディと結婚するはずだと強調しているのだが、どうやら周りのほとんどの人がそういう解釈をとってないことには気付いてたようである。このあたり、作者は考えてもいなかった解釈がどんどん広まってしまうということで受容史的にはめちゃめちゃ興味深い。芝居は作者のものではなく客のものだということがしみじみとわかる話である。


 で、このイライザが寛大にもヒギンズを許してやってヒギンズも悔い改めるというラストのほうがラブコメ的には客にウケるのでそっちの解釈をとる演出が多いのだが、今回のプロダクションは真っ向からこのコンヴェンションに反抗し、最後はふてくされているヒギンズの後ろでイライザとフレディ(軍服を着ているのでどうやらなんとか就職したらしい)が幸せそうに結婚する…というラストになっている。これはかなり辛辣だな…私はこういうラストもいいと思うのだが、好き嫌いが分かれそうだ。


 ヒギンズ役のルパート・エヴェレットはわりとダークで粗野な色気のあるヒギンズ教授で(ラストの辛辣な演出からしてこれは明らかに演出家のフィリップ・プラウズの意向だろう)、私はヒギンズはこれくらい粗野なのがちょうどいいと思うのだが、ここが賛否両論あるみたいだ。イライザはレディになるのにヒギンズは芝居の最初から終わりまでちっとも成長しないママっ子のまんまであるというのがこの芝居の眼目なので、ヒギンズはかなりのダメキャラでいいのではと思う。ただ、私がエヴェレットのヒギンズを気に入ったのは、なんか学問の世界にはこういうタイプ結構いるよなーっていう気がしたからかもしれない。目から鼻へ抜けるように頭が良いし、男同士の仲間うちでは人を操るカリスマもあるのに、母とか家族の女性以外の女の前ではやたら居丈高でまともに接することができない人って、たまにいる…よね?エヴェレットは非常にそういう感じだったと思うのだが。

 カーラ・トイントンのイライザは大変良かった。最初のブスキャラから最後は自立した女性になるあたり実に説得力があり、「レディと花売り娘の差はどういうふうにしゃべるかではなく、どう扱われるかです」という最後のほうの私の好きな台詞はとても鋭かったな…イーストエンダーズなんて見たことないので全然知らなかったのだが、なんかソープ(あるいはプライムタイムソープ)オペラってこのクラスの役者がいっぱい眠ってるの?

 あと、ヒギンズの母がダイアナ・リグだったのだがこれも良かった。元ボンドガールなんだよね?

 最後に一点。以前『理想の結婚』を映画で見た時から、エヴェレットはもっとイギリスの風習喜劇の主人公を演じるべきだと思っていたのだが(ワイルドやショーだけじゃなく、それこそ今リバイバルが流行ってるシェリダンや、あまり上演されない王政復古演劇のリバティーンの役はよく合うと思う)、エヴェレット本人が言ってるようにハリウッド映画ではオープンリー・ゲイのスターはアクの強いゲイキャラをオファーされることがほとんどでかなり役の幅が限られているらしい。これは非常によろしくないことである(エヴェレットはまだ女の子に追いかけられるラブコメの主人公もできる年だし、なんなら若い子持ちの寡夫とかの役だってできそうだ)。ただ、イアン・マッケランデレク・ジャコビみたいに舞台に軸足があってシェイクスピアとかを主にやってるオープンリーゲイの役者はそう役柄が限られるということはないように思うんだよね…どうも映画に関してはエヴェレット自身もあまり役選びがうまくないように思うので(『二番目に幸せなこと』やらあの最悪映画『ナルニア』の声の出演やら…)、もうちょっと舞台で古典戯曲の復活上演とかやるほうに軸足を置いたほうがいいんじゃないだろうか?もともと舞台出身なんだし、舞台ファンとしてはそっちのほうがいいんじゃないかという気がする。