イングリッシュナショナルオペラ、ヘンデル『ジュリアス・シーザー』〜音楽は良いが演出が絶望的

 イングリッシュナショナルオペラで『ジュリアス・シーザー』を見てきた。音楽は良いのだが演出が絶望的にひどかった。

 話はシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』とは無関係で、コルネイユの『ポンペイの死』と同じあたりの話を扱っている(重点の置き方は全然違うが)。主筋はクレオパトラジュリアス・シーザーと恋と、2人が協力してトレミーに立ち向かい勝利するまで、脇筋はトレミーに殺されたポンペイの仇討ちを妻コーネリアと遺児のセスト(普通はソプラノがズボン役でやる「息子」らしいがこのプロダクションでは娘)が果たすまでである。上演時間が休憩時間こみで三時間四十分もあるのだが(このプロダクションはいくつかアリアをカットしているので、本来はもっと長いらしい)、音楽がめちゃめちゃドラマティックで、ソプラノやカウンターテナーの華やかな見せ場がたくさんあるのでちっとも飽きない。


 …ところが、演出は実に絶望的で見ていて苦痛だった。演出家はマイケル・キーガン=ドーランというダンスの専門家らしいのだが、どういうわけだかこの演出家は長いアリアが続くだけでは客の興味を持続させられないと思ったんだか何なんだか、アリアのたびに変なダンサーをたくさん投入して歌手の後ろで踊らせるのだが、このダンサーは身体能力は高いんだけどただの邪魔。音楽があまりにも劇的なので、本来は歌手ひとりでそれに伴う感情を全部表現できるはずだと思うのだが、ダンサーが歌詞に伴う感情を表現しようと過剰な動きをするのでなんかリテラルミュージックビデオみたいなウザい効果が発生してしまっている。ダンサーが後ろでうろちょろしてるせいで歌手が自然に動きまわることができなくなって視覚的効果は半減するし、そもそもダンサーの動きがなんかアホっぽい。クレオパトラが劇的なアリアを歌ってる最中に後ろでダンサーが痙攣してた場面ははっきり言ってゴキブリコロリだった。


 ダンスは無駄に気合いが入ってるくせに肝心の歌手の動きがさっぱりまともにつけられていない。第一幕でコーネリアが歌うところでは踊りがあるのに脇のクレオパトラが棒立ちなので実に変である(踊りがなければもっと棒立ちでも目立たなかったかも)。コーネリアとセストがトレミー暗殺を企ててつかまる場面はまるで歌手の動きがなく緊張感に欠けていて、はっきり言ってコーネリア親子が自分からつかまりにきたただのアホみたいに見える。あと、後半はコルクボードみたいな台を舞台中央から後方にしきつめて一段高くし、前方は台なしで人が2人くらい通れる程度の一段低い空間を作ってそこに降りたりそこからあがったりできるようにしているのだが、セストのアリアは二曲ともセストがこの前の低い場所を右に行ったり左に行ったりしながら歌う一方後ろはバカ踊り、というほとんど同じ演出になっており、全くかわり映えがしない。

 あと予算の使い方が明らかにおかしい。始まった時点で舞台上に等身大の死んだワニとキリンの模型が置かれており(たぶんシーザーが狩ったという設定)、話が進むにつれてこれがバラバラに解体されたりするのだが、何を言いたいのかさっぱり。予算はどうもこのワニとキリンの模型+ダンサーの給料に使われてしまったようで、衣装とかはあまりにも金も工夫もかけてない。エジプト人とローマ人がほとんど同じ真っ白い(たまに黒い)スーツやらワンピースやらを着て出てくるだけで視覚的には全く見分けがつかず、つまんないしむしろ安っぽいと思った。クレオパトラ役のアンナ・クリスティはすごく可愛くてネコ的な色気があるのに女王らしさが少ないと思ったのだが、話が進むにつれてあんなつまらん真っ白な衣装では女王に見えないのは当然かも…と思ってしまった。もっとカラフルかつ安っぽくすればドラァグクイーン的な迫力が出ると思うし、もっと高級感あるものにすればふつうに女王っぽく見えると思うのだが、あんなドレスでは社交界にデビューしたての小娘である。


 まあそういうわけで視覚的には拷問に近かったわけだが、歌は大変素晴らしかったと思う。クレオパトラの色気のあるソプラノはもちろん、カウンターテナー三人がみんなとてもクリアな声でステキだ。ローレンス・ザッツォはカッコいいシーザーだし、トレミー役のティム・ミードはとても芝居が上手で、笑いながら悪意剥き出しの歌を歌うサイコ男ぶりが非常にハマっている。パトリシア・バードンのコーネリアはとても劇的だし、ダニエラ・マックのセストはもともと男の役を女にしたとは全く気付かないくらい自然だった(あらすじを休憩中に読んで初めて知った)。演奏もたいていはよかったのだが、二度ほどひどく管楽器がしくじっていてお客さんが「あれ?」となっていた。