ヘンリー・ジェンキンズ、Textual Poachersの改訂増補版が届いたよ!

 Henry Jenkinsの古典的なファンダム研究書であるTextual Poachers: Television Fans and Participatory Cultureの20周年記念改訂増補版が出たのだが、それが数日前にアマゾンから家に届いた。わざわざアマゾンUSAで予約注文したもの。

 基本的に本文はまあ20年前と同じだと思うのだが(誤字脱字とかは直ってるだろうけど)、導入としてヘンリー・ジェンキンズとスザンヌ・スコットの討論記録、及び大学でテキストとしてこの本を使用する際に使えるリーディングリスト・ディスカッショントピックの解説が最後についている。

 で、この討論記録は1992年にこのファン研究の超基本文献が出た時の状況からここ20年の変化までいろいろなテーマを手堅く扱っており、ファン研究だけではなくもっとオーソドックスな文化史研究への視座もあって非常に役に立つものである。とくにaca-fandomというのは始まった時からフェミニスト的プロジェクトでありかつクィアなものであったという議論(pp. x-xi)はとても面白いと思う。ここ20年で若干よくはなったがいまだにステレオタイプ的に「病理化」されているメディアにおけるファン描写にも言及しており、『40歳の童貞男』のフィギュア捨てる場面とかがステレオタイプの例として分析されていてああそうか…と思ってしまった。
 私が一番興味深いと思ったのはスコットの'[d]o the textual and ideological walls that separate the homosocial from the homoerotic remain firmly intact?'「ホモソーシャルとホモエロティックを分けるテクスト的・イデオロギー的な壁というのはしっかり無傷な状態のままだと思いますか?」(xxxiv)という問いである。なんというか私はそもそも初めて『男同士の絆』を読んだ時点でこの区別について何かこれは限界があると思ったのもののうまく言語化できなかったのだが、今考えるとセジウィック的なモデルっていうのは、女性が男性のホモソーシャルを性欲の対象にし、スラッシュとして書き換えるような状況を全く想定していないから、あれに出て来てその後いろいろ発展させられいったようなホモソーシャルとホモエロティックの区別はスラッシュその他の前では機能しないところもいくぶんあるのではないかと思うんだけれども。ジェンキンズはこの点についてここ20年でアメリカでセクシャルマイノリティの人権状況がだいぶよくなったことをあげ、静的ではなく時間の流れにそってこういう言葉の変遷を理解しようみたいな話をしている。

 最後についている教育ガイドみたいなやつはいかにもアメリカっぽいが、たしかに大学や大学院で読ませるには役立つ。


 まあそういうわけでこの本はもともと重要だし序文もついてパワーアップしたので、ファンダム研究のみならずいろいろな文化史やクィアスタディーズなどの人も読んで損はない本だと思う。というかやっぱりこの本は日本語に翻訳されるべき。どっか出してくれるんならうちが訳すよ!