トム・ストッパード&ジョー・ライトの演劇的異化効果が炸裂する『アンナ・カレーニナ』〜全ては劇場の中で起こっている[ネタバレあり]

 キーラ・ナイトレイ主演の『アンナ・カレーニナ』を見てきた。えーっと『アンナ・カレーニナ』が映画化されるのは…いったい何回目だ?

 それで、とりあえずは出回っている二枚のポスター写真を見ていただきたい。


 
 ↑これ、なんかヘンだと思いません?一枚目はタイトル文字も含めて後ろのセットが舞台の書き割りみたいだし、二枚目は額縁舞台の前にアンナがいて後ろから機関車が来てるでしょ?

 と、いうことで、私は見る前は全然きづかんかったのだが、この映画は実はヴィジュアル的にはほとんどこのとおりに展開する。なんかまあ説明しづらいのだが、とりあえず最初は額縁舞台の幕があくところから始まり、最後も舞台全体がうつってカメラがひいておしまい。

 で、それだけならまあわりとふつう…というか『ムーラン・ルージュ』とかでも使われているのでメタシアターっぽい映画としてはありがちな設定である。ところがこの映画が変わっているのは、ほとんどの場面が劇場内で展開するということだ。「舞台上」ではなく「劇場内」というところがミソで、舞台の上だけではなく客席やら、はては天井のすのこやら劇場に入るロビーやらもこの「劇場内」に含まれる。例えばカレーニンの屋敷に出入りするところは劇場に入る回転ドアの映像が使用されるし、舞踏会は劇場の舞台下の客席がある部分(もちろん客席はとっぱらってある)が使用される。場面転換もセットが回転するみたいな感じだし、演出も全員静止してるところにアンナとヴロンスキが通ったら人が動き出すとか、いちいち演劇的である。リョーヴィンがいる場面だけはわりと外でロケしてることが多いのだが(なんでもジョー・ライトによるとこれはリョーヴィンだけが現実世界と完全に繋がってるかららしい)、それ以外は野外の場面でも背景が部分的に書き割りだったり、全部すごい人工的で異化効果がハンパじゃない。このへん、ヴィジュアル的には目を見張るものがあるし、ただの時代もの恋愛劇じゃないというのは明らかである。

 …しかしながら、私が思うにこのジョー・ライトの「リョーヴィンだけが広いロシアの大地に結びついている」という解釈は非常に映画的に浅はかと言うか、まあだってリョーヴィンって少なくともこの映画に出てくる中では一番つまんねー奴じゃない?そりゃまあ農地改革やろうっていう意気込みは素晴らしいと思うけど、理想を持っていろんなボランティア活動に飛び出していったお坊ちゃんたちが現地のことがあまりよくわからなくてかえって周りに迷惑をかける、というのが去年以来(もちろんそれ以前からずっとあるんだけど)たくさん起こっていて、しかもこの映画に出てくるリョーヴィンはきちんと自分が田舎でやってることを説明せずに新妻のキティを農地改革先に連れて帰ってくるのである。そしてどういうわけだかキティはすぐそれに適応するのだが、私が思うにいくらできる妻でも都会から連れてきたお嬢さんがいきなりあそこまで田舎暮らしに適応するってあり得ないと思うし(都会育ちの妻が夫の地所に適応できず…ってそれだけで映画になる話で『大草原』とかもろそういうテーマの映画)、あれこそこの映画で一番現実離れしてる展開だと思った。それに比べて全部劇場内で展開されるアンナとヴロンスキーの不倫、出産で死にそうになるアンナ、カレーニン夫妻の離婚なんかは今でもえらいリアルである。この映画では、たぶんライトの意図とは逆に、劇場内で起こっていることが一番現実的で、劇場外で起こっていることのほうがリアルじゃない、という逆転が起こっていると思う。

 そういうことでライトの劇場と現実を対比させる意図ははっきり言って失敗していて、そのせいでなんかすっきりしないところが多い映画になっていると思う。全体的に、わざとらしい背景とストレートで自然主義的な演出が釣り合ってない感じがする。とくにアンナとヴロンスキーが会ってから恋に落ちるまでの描き方とかが背景の人工性に比べてやたらにリアリズム的で、「これ、バズ・ラーマンが撮ったらもっとわざとらしいぶん説得力あっただろうな」と思ってしまった。

 まあしかしながらヴィジュアルコンセプトとしてはすごく野心的だし、異化効果というものを考えるにあたっても演劇好きは見ておくべき映画だと思った。とくにトム・ストッパード風の不条理劇風味、メタシアター風味が強いという点では『恋におちたシェイクスピア』を上回っていると思う(映画としての出来は『恋におちたシェイクスピア』のほうがいいと思うが)。あと役者の演技については文句がない。相変わらずアンナ役のキーラ・ナイトレイはこういう時代もののヒロインはお手の物なので、もっと古典の映画化にどんどん出て欲しいと想う。あとジュード・ロウのカレーニン役が個人的にツボで、ほんとならまだヴロンスキの役だってメイクで若作りすればできる年だと思うのに、いつものイケメンぶりを封印して年配の寝取られ夫を超複雑で深みのある物静かな人物として演じており、あまりによくできているのでこの調子でチャタレイ夫人のクリフォードとかもやったらいいんじゃないかと思ってしまった。

 …まあ、そんなわけで、私は通常運転で「リアリズムは犬も食わない」と思ってやまないわけであるが、古典で不倫で演劇的つながりで絶対この『アンナ・カレーニナ』と比べないと、と私が公開を待っているのがバズ・ラーマン監督の『偉大なるギャツビー』である。クリスマス公開のはずが来年5月にのびちゃったのが待ち遠しいが…