理想を食い物にし、差別を勢いづかせるニセ歴史〜ロナルド・H.フリッツェ『捏造される歴史』

 ロナルド・H.フリッツェ『捏造される歴史』(原書房、2012)を読んだ。歴史学者が書いた、「ニセ歴史の歴史」本である。

捏造される歴史
捏造される歴史
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ロナルド・H. フリッツェ
原書房
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 扱っているニセ歴史はアトランティスのように日本でも有名なものから、北米のアフリカ系アメリカ人宗教団体であるネイション・オブ・イスラムが信奉している妙なアフリカ中心的天地創造説、『黒いアテナ』など、いろいろな分野における歴史歪曲をとりあげている。全編に共通するのは、たいていのニセ歴史に差別や偏見がからんでくるということで、歴史というのが民族の起源などに関わるものであることを考えるとまあ納得できる。右派も左派も差別がらみの話でニセ歴史にハマることが多いようで、差別を正当化したい連中は歴史をねじまげて特定の民族などを中傷しようとするし、一方でマイノリティは「ウチの先祖は偉かったんだ!」というロマンティックがとまらない状態に陥ってニセ歴史方面に暴走しやすい(またまたそういうロマンティックな理想主義につけこもうとする人々もたくさん出てくる)。プラトンの著作を起源とするアトランティスについての愉快で哲学的な歴史ファンタジーにまでナチスが絡んできていたとかいうあたりは、ニセ歴史と偏見の親和性に辟易してくる。

 ナチスなどの差別的歴史観を批判する一方でこの本はアフリカ中心主義にもかなり批判的であり、後半はネイション・オブ・イスラム批判と『黒いアテナ』批判が続くので、北アメリカでは人種差別問題について反対のスタンスをとる人の間でも割合ニセ歴史が広まっているのか…と思って読んでいた。なんでも第二次世界大戦前に北米のアフリカ系アメリカ人反差別運動は反米工作をもくろむ日本とつるみかけたこともあったそうで、反差別運動の理想につけこんでろくでもないことをしようとする人々というのはいつの世にもいるもんだ…と改めて思った。ちなみにこの本は戦後のネイション・オブ・イスラム、とくにリーダーだったイライジャ・ムハンマドの判断力について非常に手厳しく、知性溢れる人物だったマルコムXがこんな組織を抜けようとしたのも当たり前である、的なことが書いてあって、このあたりはあまり本題とは関係ないかもしれないが、狂信的信仰やニセ歴史にはまらず、プレッシャーをかけられても自分が正しいと思うことをしようとしたマルコムXは非常に勇気のある優れた政治活動家だったんだなと感心してしまった。

 最後の『黒いアテナ』に関する章は、ニセ歴史と真面目な歴史学の境界に位置するようなものを扱っており、この章が一番考えさせられると思った。アカデミアですら怪しい仮説にハマってしまう人がいるというのは非常に問題あることだと思う一方、そうはいってもきちんとした批判や証拠の提示を持って『黒いアテナ』のダメなところが明らかにされていく過程は歴史学の誠実さを示すものでもあり、やはりきちんと公の場で検証を行うことが大事なのだなと痛感した。ちなみにこの章以外でも著名な学者であるトール・ヘイエルダールのあやしい仮説などに触れたところもあり、昔はまともな歴史研究だと思われていたものが研究の進歩でやっぱりダメだわっていうことになる場合もあるので(たいていの学問にはそういうところがあると思うが)、ニセ歴史とまともな歴史学の境界というのは素人には非常にわかりにくいものである一因はこういう研究の進展が早いということもあるだろうと思った。ただ、やはり良くないのは既にダメとわかった仮説にしがみつくことで、他の証拠が出てやはりこの仮説は信憑性が低いと思ったらすぐあきらめて別の信憑性がもっとありそうな仮説を検討するのが研究する者として誠実な態度なのであろうと思う。前からの主張にしがみつくよりも諦めるほうがずっと立派だ。