カクシンハン『ハムレット』

 カクシンハンの『ハムレット』を見てきた…のだが、これはちょっと依頼劇評を書く可能性がある作品なので(まだ決まってないのだが)、一応覚え書きとしてメモを書くだけにしておこうと思う。

・舞台は前回の『仁義なきタイタス・アンドロニカス』に似ており、斜面と奈落を組み合わせた小さな黒い張り出し舞台の後ろに細長い金属棒のカーテンが下がっている。最後のフェンシングの場面ではこの金属棒カーテンが剣選びの小道具として使用されている。
・日本のシェイクスピア上演としてはかなり政治的で、英国風でもある。そこらじゅうにモニタが備え付けられており、監視社会の雰囲気が出ているあたりはナショナル・シアターの『ハムレット』にやや似ているが、知性的だったナショナル・シアター版に比べるとテンションがかなり高く、とくにハムレット(河内大和)が発散しているエネルギー量が多い。「おーいお茶」を真似したCMが流れた後、全国にクローディアスの演説が放映されるが、このあたりはケヴィン・スペイシーの『リチャード三世』なんかに少し近いかもしれない。政治諷刺の鋭さはハムレットが「イングランド」ではなく「ジパング」に送られるというちょっとした変更で頂点に達している。「ジパングでは頭がおかしくても誰も気付かない」
・フォーティンブラスのポーランド侵略にハムレットが感じ入る場面の少しあとに、原作にはないポローニアスの亡霊がレアティーズに「自分は殺された」ということを伝える場面があり、ここでポローニアスが「この場面は原作にはない、演出だ!」というようなことを言うのだが、この異化効果的な演出は、あまりにも前段との落差が激しいので、むしろフォーティンブラスやハムレットが理想とする軍人の理想を茶化すような方向に働いているように見える。
・ホレーシオとガートルードという、ハムレットと最も親密な絆を持っている二人がダブルキャスト(杉本政志)だが、これは最後の場面でちょっと演出上の問題が発生する…ものの、ハムレットの人間関係における機能不全気味な親密さを表すための演出なのだろうと思う。またオフィーリアとフォーティンブラスもダブルキャスト(真以美)で、これは前回、ラヴィニアとアーロンが同じ役者でダブルキャストだったことと同じ方針なのだと思うが、特筆すべきはフォーティンブラスが純白のドレスを着て足を引きずった若者として描かれていることである。これはちょっと『リチャード三世』を思わせるところがあり、また前回ラヴィニア(清純)とアーロン(悪党)がダブルキャストだったことを考えても、フォーティンブラスを正統な継承権を持つ新しい王というよりは、男と女、戦場を駆け回る勇猛な軍人と足の痛みを抱える障害者という一見、相反する要素を持ったトリックスターに近いような存在として描こうという演出だと思う。