子ネコと猛犬〜『欲望という名の電車』

 フィリップ・ブリーン演出『欲望という名の電車』を見てきた。実はライヴで見るのは初めてである。

 けっこう工夫したセットで、最初はドアが降りている状態で始まるのだが、開幕してすぐドアが上に上がって真ん中に散らかった二部屋のアパートが出てくる。第二次世界大戦後のニューオーリンズではあるのだが、今の日本にも普通にありそうなどこでも見つかる汚いボロ家だ。左右は剥き出しで、脇にある舞台機構がそのまんま見えるところもある。照明が非常に凝っていて、第一部終盤でミッチがブランチに求愛するところでは、紙のランタンを上からたくさんぶらさげて星空のような効果を出していた。紙のランタンは明るい場所を嫌うブランチが裸電球の光をやわらげるため使っているものであり、この照明効果はちょっと現実から距離を置いたブランチの夢が一瞬、実現しかかったことをうまく暗示していると思う。

 ブランチ(大竹しのぶ)は、女優の年齢でいうともう60歳で、原作のブランチの倍近い年だ(ブランチはもともとの設定では30過ぎくらいなのだが、今30歳でブランチをやる女優はほとんどいないっていうか無理だと思う)。しかしながら大竹ブランチはかなり年齢不詳な感じがあり、可愛く見えるところもたくさんある。しかしながらその可愛い外見を過信しまくってステラの「妹」(原文では年齢がはっきりしない単語"sister"なのだが、これを「妹」としているところがあってなかなかうまいと思った)ぶったりするのが痛々しさを感じさせる。全体的に大竹ブランチは柔らかくくねくねした傷つきやすい子ネコみたいな性格だ。

 一方でスタンリー(北村一輝)は非常にワイルドなのだが、ある点では社会化されている。よくスタンリーはセクシーなゴリラだとか言われるが、北村スタンリーはどっちかというと野生動物のであるゴリラというよりはけっこう人間社会に馴染んでうまくやっている猛犬の親玉という感じである。出ていったステラを泣いて呼び戻そうとするところはイヌの遠吠えみたいだ。ブランチはスタンリーを野蛮な動物みたいだと思っているのだが、実はスタンリーは見かけほど野生的に生きているのではなく、ブランチは彼のことを見誤っている。スタンリーはナポレオン法典の話をこねくり回したり、裏で手を回していろいろなことを探ったり、男同士の絆を使ってブランチを陥れるだけの社会性を持った男だ。終盤のスタンリーがブランチを襲う場面は、まるで猛犬が恐怖に震える子ネコを食おうとしているみたいなイヤな凄味がある。

 このプロダクションではわりとステラ(鈴木杏)が優しく姉思いな女性で、ステラとブランチの間には本物の情愛が通い合っていると思う。この上演のステラはスタンリーにもベタ惚れで非常に愛情豊かなのだが、あまり人間関係において見る目が無い女性なのかもしれない。ちょっと疑問なのはミッチ(藤岡正明)がかなり小柄なことだ。途中でブランチがミッチのことを大柄だという台詞があるのだが、あれはカットしたほうがよかったんじゃないだろうか…