家母長制への恐怖とマゾヒズム~『ヘレディタリー/継承』(ネタバレあり)

 『ヘレディタリー/継承』を見てきた。

www.youtube.com

 映画はミニチュア模型(ドールハウスの一種)を専門とするアーティストのアニー(トニ・コレット)の母であるエレンが亡くなるところから始まる。エレンは変わり者でオカルトなどに興味があったらしく、娘のアニーとあまりうまくいっていなかった。おばあちゃん子だった下の娘チャーリー(ミリー・シャピロ)はとても悲しんでおり、アニーも心が落ち着かずに家族を亡くした人の会などに参加するようになる。そのうち、いろいろと不可思議な出来事が起こるようになり…

 

 全体的に、家母長制への恐怖と男性のマゾヒズムに彩られた作品である。タイトルの「ヘレディタリー」というのは女系の血筋で継承される霊力みたいなものを指しているらしい。どうも生前のエレンは地獄の王の花嫁にして女王/王妃、悪魔崇拝教団で尊敬されていたリーダーで、アニーやチャーリーはその力を継承しているらしい。アニーはミニチュア模型、チャーリーは絵が得意で、エレンもドアマットを作るなど手芸のセンスがあったらしく、この霊力は創造性と関係があるようだし、また精神の病も一緒に発現している。シャーマン信仰のあるところ(沖縄のユタなど)では、家系で女性に霊力が発現し、ある種の精神病に近い症状が付随するというような考えが存在することもあるらしいのだが、エレンの家系の描き方はそれに近い。

 一方で、この作品に出てくる男たちはとことん受動的だ。アニーの夫スティーヴ(ガブリエル・バーン)はあまり頼りにならないし、アニーの息子ピーター(アレックス・ウルフ)はマリファナを吸って好きな女の子のことを考えながらぼーっとしている少年で、母や妹のような創造性を持っていない。しかしながら、地獄の王パイモンを呼ぶには健康な男の体が必要で、その依り代の容器として、エレンの孫として血筋を「継承」しているピーターが必要とされている。そういうわけで地獄の王の容器として狙われるのはピーターなのだが、ここでポイントとなるのは、知性を象徴する頭については女性であるチャーリーの頭が必要とされており、最後に悪魔崇拝教団のリーダーでおそらくエレンと親しかったジョーンが地獄の王に呼びかける際も「チャーリー」という名前を使っていて、ピーターは一切しゃべらないという点だ。この映画において、男は単なる肉体、完全に受動的な容器としてのみ必要とされており、知性、言語、行動は全て恐ろしい霊力を持つ女たちが独占している(女たちがよくしゃべるのでベクデル・テストはパスする)。男たちは女の力によって入れ物にされるだけで、崇められるが行動はしない。

 そういうわけで男たちは受動的で、とくに何も考えておらず、燃やされたり血まみれになったりさんざん痛めつけられた末、女の霊力を映す無言の入れ物として人々にかしづかれるようになる。ここにはオカルトっぽい男性のマゾヒズムが表現されていると思う。バハオーフェンの母権論やグレイヴズの『白い女神』なんかの系統で、犠牲として女神に選ばれ愛された後に屠られる男性の偽王みたいな発想があると思うのだが、このピーターはそういう感じの偽王だ。何もしないのに選ばれ、マゾヒスティックに痛めつけられた末に女たちにかしづかれる存在になる。何も言わずに戴冠するピーターの表情に浮かぶのは恍惚なのかもしれない。そう考えると、これは全然、性描写とかはないのだが、実はかなり変態的な映画なのではないかと思う。