何をしたかったのか…『シャフト』(2019)

 Netflixで『シャフト』(2019)を見た。これは2000年のジョン・シングルトン監督『シャフト』の続編で(同じ名前なのが困る)、さらにこの2000年の『シャフト』は1971年の古典的ブラックスプロイテーション映画『黒いジャガー』のリブートである。アメリカでは劇場公開されたが批評がよろしくなく、他の国ではだいたいNetflixリリースらしい。

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 2019年版『シャフト』は父子の話である。二代目ジョン・シャフト(サミュエル・L・ジャクソン)は相変わらず無頼な探偵稼業をしていたが、実はシャフトには愛想を尽かして出て行った前妻マーヤ(レジーナ・ホール)がおり、息子のジョン・シャフト・ジュニア(ジェシー・アッシャー、以下JJ)はFBIのエージェントになっていた。JJの親友カリーム(アヴァン・ジョーギア)が変死し、その捜査のためJJは父の協力をあおぐことにするが…

 

 とにかく何をしたいのかさっぱりわからない作品である。コメディなのか、ヒーローアクションなのか、父子のドラマなのか、全然はっきりしない。知的で女性を尊敬し、穏やかな性格のJJと、昔風の男らしさを振り回すちょっと困ったお父さんシャフトのカルチャーギャップコメディ…なのかと思いきや、JJがだんだん父に影響されて荒っぽくなっていく。父シャフトは息子のJJがアフリカ系アメリカ人男性らしい振る舞いを身につけていないことが気にくわなくて、やたらと息子に説教しようとする。父シャフトが繰り出すジョークやら説教やらが性差別や同性愛差別を含んだ古くさいものばかりなのは全くいただけない。父シャフトは、女性に対しては男らしい強さをアピールしないとダメなんだ!という古くさいデート技術を息子に教えるのだが、JJがそのとおりにするとガールフレンドのサーシャ(アレクサンドラ・シップ)がわざとらしくうっとりしたり、父シャフトが暴れるとマーヤがうっとりするなど、今時パロディでないと成り立たないような場面がいくつもある。このあたりははっきり言って白ける。

 

 やっと面白くなってくるのは、後半に初代シャフトであるリチャード・ラウンドトリーが出てくるところからである。初代シャフトはもう77歳だそうだが、さすがにすんごくカッコいい。シャフト三代が勢揃いで敵と対決するあたりはけっこう楽しい。しかしながらこの超イケてる初代シャフトをちゃんと使いこなせてないな…と思うのは、初代シャフトとJJのほうがむしろ似た精神の持ち主なのに、その類似性を使って二代目シャフトの古くささをあぶり出すということをあまりうまくやっていないことだ。初代シャフトは個人で軍隊を始められそうなくらい武器を持っているわりに、武器を使うよりは昔ながらの手を使った格闘のほうが好きだとか言っているし、かなりオシャレな家に住んでおり、家を出る時には手を叩いてちゃんと電気を消していて、現代風のテクノロジーを使った暮らしにちゃんと順応している。このあたりはモダンでおしゃれな若者であるJJとソックリ…というか、じいちゃんシャフトと孫シャフトは洗練重視で新しいもの好きなのに、父シャフトだけがパソコンもろくに使えない恐竜みたいな捜査方法に固執している。この違いを使って父シャフトの古くさい価値観を異化するチャンスなのに、この映画はそれをあんまりちゃんとやっていない。

 

 この最後にリチャード・ラウンドトリーが出てくるところで思うのは、このへんの批評でも言われているが、たぶん初代シャフトは同性愛差別発言や性差別発言は実はあんまりしないだろうな…ということである。というのも、初代シャフトは自分の男らしさに全く不安を抱いておらず、ちょっとやそっとでは彼の完璧な男らしさは揺るがないからだ(これがたぶんアフリカ系アメリカ人男性のヒーローとしては新しくて魅力的だったのだと思う)。初代シャフトは自分の強さ、賢さ、魅力に自信があるので、女や同性愛者を怖がらない。『黒いジャガー』のシャフトにはゲイのバーテン、ローリーという友達がいて、ローリーがふざけて身体に触ったりしてもシャフトは全然怒らない。シャフトは女好きで無責任だが、女について説教したりはしない…というのも、黙っていてもあらゆる女が寄ってくるし、さらにちょっとばかり無責任でも許してもらえるだろうという自信があるので、おそらく「どうやったら女にモテるか」なんてことは考えもしないだろうからだ(元のシャフトシリーズは初作しか見ていないので、あまりえらそうなことは言えないが)。これに比べると、二代目シャフトは完璧なブラックスプロイテーションのヒーローである親父さんに比べて過渡期の人間で、男らしさを尊んでいるがそれについて自信を持てないでいるところがある。そこにつっこんでいけばもっとずっと面白い話になっただろうに、この映画はそうならなくて、なぜか二代目シャフトが息子を伝統的なアフリカ人アメリカ人らしい男らしさを身につけたたくましい男にしました…みたいなオチになってしまうのである。実に掘り下げが浅い。

 

 なお、この映画はベクデル・テストはパスしない。女性キャラクターは出てくるが、男性以外のことについて女性だけで話す場面がない。