「ストラットフォードのシェイクスピアの伝記映画」が作られる意味~『シェイクスピアの庭』(ネタバレ注意)

 試写会で『シェイクスピアの庭』を見てきた。ケネス・ブラナージュディ・デンチが晩年のシェイクスピア夫妻を演じるという作品である。

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 話は1613年、『ヘンリー八世』の上演中にグローブ座が燃える事件から始まる。ウィリアム・シェイクスピア(ケネス・ブラナー)はこれを機に引退してストラトフォード・アポン・エイヴォンの故郷に帰ることにする。久しぶりに妻のアン(ジュディ・デンチ)と同居することになり、亡き息子ハムネットを記念する庭を造ることにするが、長くひとりでロンドンに住んでいたウィリアムはなかなか家族とうまくいかない。

 

 晩年のシェイクスピア夫妻をじっくり描いた作品で、以前から一緒に仕事をしているブラナーやデンチの演技は申し分ないし、風景なども綺麗で、地味だが味わい深い文芸歴史映画だ。ウィリアムのパトロンであるサウサンプトン伯(イアン・マッケラン)がおじいさんになってからストラトフォードを訪ねてくるというとても面白い場面があり、ウィリアムのほうはサウサンプトンに恋心を抱いていた一方、サウサンプトンのほうは詩人としてウィリアムを尊敬しているだけで、お互い大事に思ってはいるのだが性的指向と身分の違いで完全に心を通わせることはできないという様子が丁寧に描かれている。いくつか笑えるところもあるのだが、全体的には静かな映画で、もうちょっとコミカルにしてもいいのでは…と思えるところも多かった。

 

 ただ、こういう映画をそもそもブラナー、デンチ、マッケランというイギリスが誇るシェイクスピア役者たちが集まって作ったということが重要だ。というのも、マーク・ライランスデレク・ジャコビみたいな著名なシェイクスピア役者たちがシェイクスピア別人説(ストラトフォードのシェイクスピアシェイクスピア劇の作者ではない、という説)に加担し、『もうひとりのシェイクスピア』みたいな別人説を宣伝するみたいな映画も作られてしまったような状況では、そこそこ史実にのっとったシェイクスピアの伝記映画を作っておくのは意味があると思うからだ。この映画はかなりきちんと時代考証をしているし、シェイクスピア夫妻の感情的なしこりとか、息子の死をめぐるいざこざとかはかなり想像に基づいているものの、基本的な史実については若干の誇張や省略はあってもけっこう正しく描いている。娘たちの結婚や相続をめぐる問題、遺言の内容などはだいたい正確で、それに想像力で肉付けするというやり方をとっている。サウサンプトンが『ソネット集』に出てくる美しき若者でシェイクスピアサウサンプトンに恋心を抱いていたのではないかというのも昔から言われている仮説で、単なる推測にすぎないとはいえ批評家が昔から言っていることだ。きちんと研究調査を行って誠実に17世紀初頭のイングランドの人たちの暮らしぶりを描こうとした作品であり、そこはとても歴史映画として評価できる。