メトロポリタンオペラの配信でドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』を見た。デイヴィッド・マクヴィカー演出による2011年の上演を撮影したものである。ドニゼッティによるチューダー朝のクイーンを扱った三部作のひとつである。タイトルロールはアン・ブーリンのことだ。
アンナ(アンナ・ネトレプコ)はエンリーコ8世(イルダール・アブドラザコフ)の妃だが、夫婦仲は完全に冷めており、エンリーコは妻の侍女ジョヴァンナ(エカテリーナ・グバノヴァ)に夢中である。エンリーコは妻を厄介払いすべく、アンナのかつての恋人リカルド・ペルシ(スティーヴン・コステロ)を呼び戻してスパイするが…
時代考証がしっかりしており、セットも綺麗だし、とくにジェニー・ティラマーニによる衣装が大変豪華である。チューダー朝の絵画などを参考にしたと思われ、エンリーコは現存する肖像画によく似た派手な衣装を着ている。アンナの衣装はその時のアンナの気分や場面の雰囲気を考えて合わせているもので、よく考えられている。裁判の場面では、アンナは一応黒い衣装で慎みを表してはいるものの、腰に赤いリボンを結んだり、胸元は宝石で飾ったりして王妃としての威勢とプライドを示そうとしている。
お話はかなりエンリーコがひどい…というか、野心家であるアンナもそこまで悪女としては描かれておらず、魅力的だが暴君であるエンリーコの残酷なわがままに振り回される気の毒な女性として描かれている。エンリーコと結婚する前にリカルドと秘密結婚していたのを隠していたり、野心のために王と結婚したり、善良一辺倒とはいかないのだが、それでもとにかくイヤな女というわけではなく、人間味がある。ジョヴァンナはそもそもあんまり王妃になりたがっていないようで、さらに忠義を大事にする性格なので、自らの女主人であるアンナを慕う気持ちとエンリーコの情熱に押され、惹かれてしまう気持ちに引き裂かれている。2人の女が足を引っ張り合うみたいな話にはなっておらず、ジョヴァンナはエンリーコに穏便にアンナと別れて気を遣ってあげてほしいと頼むし、アンナはジョヴァンナに対してエンリーコに魅力を感じるのは仕方ないことなので許すと言う。このアンナがジョヴァンナを許すところは歌に非常に迫力があり、女同士の場面としてはとても良かった。メロドラマティックな内容だが、そもそもこの作品では男性であるエンリーコもほとんど政治や学問に興味がなくて愛と性欲と嫉妬に突き動かされて激しく動き回るだけなので、そういう政治を捨象した作品としては女性キャラクターは2人とも比較的しっかり描かれていると思う。
ちなみに、キャスティングで面白いと思ったのは、アンナ役のネトレプコとジョヴァンナ役のグバノヴァの類似点と差異がはっきりわかるようにしてあるところだ。2人ともわりとグラマーで丸顔で、さらにおそらくわざとだと思うのだが髪型などの雰囲気が似せて作られており、エンリーコがどういうタイプの女が好きなのか、キャスティングやヘアメイクなどでよくわかるようにしてある。一方、アンナは才気や強い性格が有り余っている感じの華やかな美女だが、ジョヴァンナはもっと穏やかかつ地味な雰囲気で、エンリーコはエネルギッシュすぎるアンナに飽きて安らぎをくれるジョヴァンナに走ったというような演出になっていると思う。