ライヴエンタテイメントが見られないつらさをそのまま憂える~三島由紀夫没後50周年企画『MISHIMA2020 憂国/橋づくし』

 三島由紀夫没後50周年企画『MISHIMA2020』第一弾を見てきた。短編を4本連続上演するもので、第一弾は『橋づくし』と『(死なない)憂国』である。

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 野上絹代演出『橋づくし』は、新橋の料亭の女たちが銀座の7つの橋を渡る願掛けをする様子を描いたものである。プロジェクションなどを使って現代風に面白おかしくまとめているのだが、最初のわざと台詞を早口にする部分については全く効果があがっていないと思ったのと、あと女中のみなだけクロスジェンダーキャスティングにして高橋努が演じるようにしたことについてもどうもあんまりピンとこなかった。田舎から出てきたばかりのみなを男優に演じさせることで優雅な芸者衆や料亭の娘たちとの対比を強調するというのは、ちょっとあざといというか、男優による女役を異質なものとして位置づけしすぎていてわざとらしいように思った。 

 長久允演出の『(死なない)憂国』は、洗練されているとは言えないかもしれないが、新型コロナウイルス流行の最中に生まれた芝居としては本当につらくて本当に面白いと感じられた作品だった。『憂国』へのオマージュで、警官をしている信二(東出昌大)と看護師の麗子(菅原小春)の新婚夫婦しか登場人物はいない。この夫婦はライヴハウスに行くのが生きがいなのだが、新型コロナウイルス流行でライヴにも行けなくなり、毎日ゾンビみたいなどんよりした暮らしをしている。そこでライヴ仲間が新宿のロフトを占拠したという報が入り、信二はなぜ自分が呼ばれなかったのかとショックを受けつつ、警官として取り締まりに向かうことになる。

 夫婦のボロアパートの周りに酒の空き缶が降り注ぐセットも面白いのだが、『憂国』をきちんと消化しつついろんなところで脱臼し、現代に結びつける手法が大変良かった。麗子が『憂国』の古めかしい夫婦観をバカにするというようなジェンダー面での見直しもあるし、『憂国』にある種の美しさを認めつつ、あれじゃあまあダメだろう、死なないのが大事だ、ということをユーモアを交えて描いている点で、感染症が流行っている時代に上演するのに極めてふさわしい内容だと思う。また、緊急事態宣言のせいで生きがいのライヴハウスに行けなくなる心境が大変リアルに描かれていて、『アンチフィクション』と並んでこの感染症によるライヴエンタテイメントの危機を切実に描いた作品だと思う。主演2人もエネルギッシュで、とにかくこの芝居が見られて良かったと思った。