これはキム・ジヨンが書いた物語じゃない~『82年生まれ、キム・ジヨン』(ネタバレあり)

 『82年生まれ、キム・ジヨン』を見た。チョ・ナムジュの原作小説を読んでとても面白いと思い、楽しみにしていた映画である。 

82年生まれ、キム・ジヨン

82年生まれ、キム・ジヨン

 

  タイトルロールのキム・ジヨン(チョン・ユミ)はかつては広告会社で働いていたが、今は仕事を辞め幼い娘を育てている。ハンサムで優しそうな夫デヒョン(コン・ユ)もいて傍目には幸せそうだが、子育てや夫の実家との付き合いなど、ストレスも多い。そんな中、ジヨンは時として別人が憑依したかのような奇妙な行動をとるようになる。

 原作は一種の叙述トリックみたいなものを使ったミステリアスかつダークな話で、えらくリアルな話なのに読後感がなんかディストピアSFかダークファンタジーみたいな雰囲気だ。しかしながらこの映画はあんまりそういうスリリングな雰囲気がなく、ストレートな家庭劇っぽい演出を採用している。脚本も完全に家庭劇である。そしてその結果、つまらないというわけではないが、原作とは全く雰囲気の異なる、言ってみればかなりぬるい話になっていると思う。

 原作は医者のカルテのような形をとったカチカチした文章で、その叙述の中にちょっとした仕掛けがある。この作品は医学的な症例報告という枠は全部捨てているのだが、どうにかそういうふうにして叙述に何らかの枠をもうけようとしているみたいで、ジヨンが物書きになるという展開がある。ジヨンが昔は作家になりたかったとか、父親に依怙贔屓されている弟がもらったのに自分はもらえなかった万年筆を欲しがっているとか(万年筆は書くことの象徴だ)、いくつか伏線があり、最後にジヨンが自分の体験をもとにした作品を書くことに活路を見いだす。そういうことなら、実はこの映画というのはジヨンが書いた作品であったはずだ…と思うのだが、この映画は正直なところ、あんまりジヨンの強い声が聞こえてくる作品ではない。というのも、全体的に作品の視点が夫のデヒョンに寄りすぎているからだ。デヒョンが原作に比べるとやたら人間味のある男になっているのだが、この夫のキャラの解釈は別としても、構成の上ではジヨンの作品であるはずのこの映画でどうしてこんなにデヒョンの声を強く響かせる必要があるのか全くわからない。たぶんジヨンが本気で書いたらこんなにデヒョン視点のある作品にはならないだろう。そういうわけで、最後にジヨンが書くことで自由に近づくみたいなオチがあるくせに、この映画自体は全くジヨン視点でジヨンの声を聞く作品だという感じがしない。この映画にはうっすらと書くこと、自分の声で創作することによる解放みたいなテーマがあるのだが、そこを全然詰めずに甘ったるく処理していると思う。

 全体的に、この映画は小説に比べると、バランスを良くしようとしたせいで原作にある女性差別や家父長制に対する鋭い批判が鈍くなり、ぬるくなっているところが多いと思う。別にバランスが良いのは悪いことではないが、小説『82年生まれ、キム・ジヨン』を原作とするキム・ジヨンの物語であり、かつ書く主体としてのキム・ジヨンを描くのならば、ジヨンの頭の中とその声を中心に構成すべきだったのじゃないかと思う。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』や『ペイン・アンド・グローリー』、ちょっと毛色は違うが『ハニーボーイ』みたいな人生を書くことに明確に向き合った映画でよいものが最近けっこうたくさんあったので、それに比べると『82年生まれ、キム・ジヨン』はかなり人生を書くという行為に対して雑な処理しかしていない作品である。