植民地政治とフレネミーBL~Parco劇場『ピサロ』

 Parco劇場ピーター・シェーファー作『ピサロ』を見てきた。ウィル・タケット演出で、去年新型コロナで途中で中止された公演の再演である。

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 16世紀のスペインによるインカ帝国侵略が主題の作品である。主人公のピサロ渡辺謙)は貧しい身分から軍人として成功し、何にも頼らずに生きてきた。そんなピサロインカ帝国で神の化身として尊崇される若き王アタウアルパ(宮沢氷魚)と親しくなり、人生の岐路を迎える。一応、物語はピサロの小姓であるマルティン(若い時が大鶴佐助、年とってからが外山誠二)の語りのゆるい枠に入っている。

 スペインによる暴力的な植民地政策を批判する内容ではあるのだが、あまり史実には基づいていない…というか、出来事レベルではともかく、正直言って内容は創作BLである。これまで愛を知らなかった初老のピサロが、若々しく自信に溢れたアタウアルパに会って異文化接触の末、アタウアルパに愛着を持つようになり、そのためにスペインの植民地政策とうまく折り合いをつけられなくなるという内容だ。この愛はエキゾチックで美しい若者に対する恋心とも、息子のような存在に対する親心とも、同じような境遇で権力と持つ者同士の友愛ともつかない微妙なもの…なのだが、全体的にはなんだかフレネミー(フレンド「友達」+エネミー「敵」)BLみたいに見える。ピーター・シェーファーは『アマデウス』でもフレネミーBLみたいなことをやっていたので、たぶんそういうのが好きなんだと思う。

 しかしながら問題はこれが植民地政策の話だということである。『アマデウス』はまあ宮廷内での芸術家同士のライバル関係がテーマで、史実を曲げまくっていたとはいえ一応、明確な上下関係なく活動していた人たちの話なので許せるような気がする…のだが、スペインのペルー侵略は宮廷での音楽をめぐる小競り合いとはちょっとレベルが違うくらい暴力的で弁護しようのない悪行であり、いまだにその爪痕が生々しいものでもあるので、勝手に実在の人物を使ってBLみたいにしてしまうのはちょっと…と思ってしまうところもある。

 一方、『アマデウス』でも神にこだわっていたシェーファーだけあって、宗教についてはかなりしっかり描き混んでいる。途中でキリスト教とインカの信仰が教理問答を戦わせるところはわりと面白く、全体を通してキリスト教の自惚れぶりが暴かれる構造は良い。なんかもうBLなしで信仰だけの話にしてもよかったのでは…という気もするのだが、それだとまあ間がもたないかもしれない。

 演技は皆とても達者で、ピサロを演じる渡辺謙はさすがの安定感である。また、アタウアルパを演じ宮沢氷魚が、考え抜かれた金色の衣装ともあいまって実に神々しい気品に満ちており、これなら神様だとか蘇るとか言われても信じられそうな感じだと思った。アタウアルパは若いのに年齢に似合わない威厳がある感じでないとむしろアホっぽく見えてしまう可能性があり、大変難しい役どころだと思うのだが、宮沢アタウアルパはかなり説得力があった。