個人的に一番苦手な部類の百合を突然見せられた気分~『戦争と女の顔』(ネタバレあり)

 『戦争と女の顔』を見てきた。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』が原案の映画である。ジャーナリズムの著作が原案だが、本作ではドキュメンタリーではなく、劇映画である。

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 第二次世界大戦期のレニングラードが舞台である。ヒロインのイーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は戦争から復員し、戦傷者を収容する病院で看護師の仕事をしながらまだ前線にいるマーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)の小さな息子パーシュカを育てている。イーヤは戦争の後遺症で体が動かなくなる発作を抱えていた。この発作のためイーヤはパーシュカを事故で死なせてしまう。マーシャが復員してくるが、息子が死んだと知ったマーシャはショックを受け、イーヤにさまざまな要求をしてくる。

 アレクシエーヴィチの作品から想像するような感じの、リアルだがジャーナリストらしい冷静で控えめな視線もあり、一方で優しい視線もあり…というようなものをなんとなく想像して行ったのだが、いきなり個人的に一番苦手な部類の百合を全開で見せられたみたいな感じで、全く面白いと思えなかった(『ハート・ロッカー』がすごく苦手だったのに近いかもしれない)。これはひょっとしたら字幕とかの問題なのかもしれないが、全体的にマーシャの不妊の描き方などがわりと雑なわりに、マーシャが子供を欲しがってイーヤに妊娠を強要する性暴力のところはやたら丁寧に描かれており、イーヤとマーシャの親密な感情が絡んだドス黒い権力闘争みたいなとこばかりに焦点があたっていて辟易した。全裸で風呂に入る場面でもうちょっとマーシャが自分の体に起こったことをどう考えているのかわかるよう、イーヤとマーシャの間で不妊になった経緯の話をすべきではないかと思うのだが、イーヤが傷について聞いてマーシャがあんまり答えないというだけの場面になっている。その後も傷が出てくるので結局、風呂の場面はなくても話が通る感じになってしまっており、風呂場面が単なるダークな百合のための序章みたいにしか機能していない。このへんでマーシャの心情などがあんまり語られないせいで、マーシャがとんでもない暴力モラハラ女に見えてしまい、「それも戦争の傷だから」では済まされないレベルになっている(まあ、心情が前のほうで語られてもそんなにマシにはならないかもしれないが)。全体的にマーシャの描き方が「戦争でぶっ壊れたクレイジーな女」みたいな感じで、セリフが少ないわりに心情がよくわかるイーヤに比べて描写が表面的だと思う。