石川慶監督『遠い山なみの光』を試写で見てきた。言わずと知れたカズオ・イシグロの小説の映画化である。
1980年代のイギリスで、イギリス人の父と日本人の母を持つニキ(カミラ・アイコ)は長崎出身の母悦子(吉田羊)に昔の話を聞こうとする。悦子は若かりし頃の自分(広瀬すず)が戦後の長崎で佐知子(二階堂ふみ)という子持ちの女性と仲良くなった話をする。しかしながらどうもその話にはいろいろ不可思議なところがあり…
私が今まで見たイシグロ作品の映像化の中では、イシグロ独特の小説の雰囲気をかなり忠実に再現しようとしている作品ではないかという気がする。長崎が負った戦争と原爆の傷跡がテーマで、被爆による差別やトラウマなどが日常生活に織り込まれた形で描かれる。一方で80年代だとイギリスにはまだ戦争のせいで日本を憎んでいる人がけっこういて…みたいな、現代の日本人はあまり意識していない加害者としての日本に対する憎悪もさらっと出てくる。一見、幸せそうに見える結婚生活にチラチラ見える夫の身勝手さとか女性抑圧などがどんどん不穏になっていくあたりもイシグロっぽい。全体的にとても丁寧な話で、主演の女性陣の演技は大変良く、とくに広瀬すずがとても魅力的だ。映像的にも綺麗な映画である。
一方で題材がけっこうショッキングなものでもあり、ネタバレになるがだんだん『ファイト・クラブ』みたいになってくるのが面白いところ…というか、カズオ・イシグロの「信頼できない語り手」をけっこうそのまま映画にすると、気品のある『ファイト・クラブ』みたいな観じになるんだなということがわかった。イシグロとチャック・パラニュークの作風が似ていると思う人は全然いないと思うのだが、信頼できない語り手を凝ったやり方で使うという点では共通点があるのかもしれない。原爆投下という激しいトラウマを処理するためにああいう視点が出てくるのだということで、この作品は戦争の激烈な苦痛体験によって記憶があやふやになったり、作り替えられたりするのは当然であり、それは苦しんだ人間にとっては意外と合理的な心理の働きである…ということを表現している。否認主義的歴史修正主義者がよく戦争に関して被害者の記憶の矛盾を細かくあげつらったりすることがあるが、この作品は実はそういうことはあるし、後ろには人間的な心の働きがあるのだということも示しているので、実は記憶の政治学に切り込んでいる作品なのかもと思う。