トレヴァー・ナン演出『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』〜これ実は『クローバーフィールド』か何かなんじゃない?

 ヘイマーケット座で『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を見てきた。

 で、私はこの戯曲は学部生の時に読んだっきりで全然どういう話だか覚えてなかったのだが、英語もわかりやすいしすぐ入り込めた。

 これは結構有名な戯曲なのだが一応あらすじを書いておくと、主人公は『ハムレット』の脇役でハムレットの自称・友人(これほど「自称」という呼び方がふさわしいキャラがあろうか)であるローゼンクランツとギルデンスターン。ローゼンクランツとギルデンスターンは足りない頭を駆使してデンマーク王の申しつけに従おうとするのだが、2人は話しているばっかりでちっとも物語の本筋に絡めず、あたふたしているうちに死んじゃう…という話。

 明らかに『ゴドーを待ちながら』を意識している芝居で、さっぱり状況をつかめず話してばっかりでまったくローゼンクランツとギルデンスターンはエストラゴンとウラディミルにそっくりなのだが、私はゴドーよりもこっちのほうがはるかにわかりやすいというか、普通に演出してももともとの台詞がアホっぽくておかしいぶん大失敗が少なく、ゴドーよりは「安全な」芝居であるように思った。ゴドーはうまくいくと素晴らしいが、たぶんあれで失敗したら地獄の二時間(地獄の一時間×2というべきか)だろうと思う。

 で、この話の面白さはたぶんローゼンクランツとギルデンスターンが極めて観客に近いキャラクターであることだろうと思う。だいたいの人の人生は『ハムレット』みたいではなく、ハムレットがオフィーリアと仲違いしたり叔父への復讐に燃えている時に脇で見て何が起こっているかわからずアホみたいにあたふたしていることのほうが多いと思うのだが、ローゼンクランツとギルデンスターンってまさに「突然大事件に巻き込まれたアホ」で、現代ならiPhoneで狂気のハムレットを撮影してツイッターフェイスブックにアップして「おいどうするよ!どうする!」とか言って慌ててるような人々である(←そういう演出やればいいのにと思ったが、やってなかった)。映画でいうと『クローバーフィールド』なんかはそういう感じ(ネタバレを知って見る気がなくなり見てないのだが、情報が少ない一般市民が突然の天変地異に右往左往する話なんでしょ?)なのではないかと思うので、演出次第で十分現代にも通用すると思う。ルネサンスの宮廷にはiPhoneがないのでローゼンクランツとギルデンスターンはひたすらお互いに相談することでどうにか人生の指針を見つけようとするわけだが、そもそも朝きいたことすらまともに覚えてられないレベルなので全然無理。そこが悲しくもおかしくてまさに不条理である。
 
 役者は良かったし、戯曲自体が面白かったので十分楽しめたのだが、ちょっと演出には不満がないわけでもなかったな…どたばた喜劇なのでもっとテンポよくばんばんすっ飛ばしてアクションも増やしてやったほうがいいのではと思うのだが、「不条理劇」ということでちょっと構えたのかややテンポが遅かったような気がする(トレヴァー・ナンって長い芝居が好きな人らしいので、そのせいかね?)。あと、上にも書いたがもうちょっと現代ふうの小道具を取り入れても良かったかもという気はした。ちょっとオーソドックスすぎて物足りない感じもする。

 で、私は十分面白かったのだが、この芝居かなり賛否両論らしい。チチェスターフェスティヴァルで先にやったそうで、ガーディアンインディペンデントは褒めてるけどテレグラフが酷評、あといくつか見たら個人ブログでも結構酷評で「戯曲自体が古い」と言う人がいた。不条理劇って「戯曲自体が古くなってる」という批判にさらされやすいと思うのだが、ただかなり演出に左右されると思うんだよね…なんといっても不条理劇ってかなりの部分が当時の政治状況や社会状況を諷刺しているわけで、その諷刺を現代に通用するものに演出で変えないと面白みが半減するというのはあると思う。テレグラフのような反応が出るということは、やはりちょっと演出がオーソドックスすぎたのかな…